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離職率の高さとイノベーションの意外な関係性

ある会社が離職率の高さを問題視していた。この会社は、大きな括りで言えば"B to B"のサービス業であり、顧客企業のためにカスタマイズしてサービスを提供している。

厳密に言うと、離職率が他社に比べて飛び抜けて高いかどうかは分からない。そこも問題かもしれないが、むしろもっと重要な問題は、「顧客企業からも感謝されるような、優秀なサービス提供者が次々に辞めていく」ことだそうだ。

辞める理由として本人達が挙げることで最も多いのが、「やりたいことが今後もできそうもない」ということだったという。





こうした現象に対して、少なからず影響を及ぼしているのではないかと私が気付いたのがこの会社の組織文化である。非常に強いトップダウンの指示系統があり、要するに「上の言うことが絶対」であり、いわゆるマイクロマネジメントをしている管理職が多そうに見える。

現に、この会社が私達と共に取り組もうとしている内容にも上位層からストップが何度もかかった。この会社としての事情、歴史、文化、戦略を尊重した上で言うが、「何のためにそんな細かいことを気にしているのか」理解が難しいケースもあった。

このケースの難度は非常に高い。この問題に取り組むプロジェクトのメンバーの方々は非常に問題意識が高く、本気でこのことを問題視していた。しかし、その問題の本質的原因にあるのは組織文化であり、かなり根本的な変革を目指すことを、多かれ少なかれ、意図しようとしまいと、意味してしまう。その挑戦はまず間違いなく、その組織文化によって阻止されてしまう。

組織文化とは、エドガー・シャイン氏の定義に基づいて言えば、「メンバー個々が持ち、組織として共有している暗黙の前提」のことである。組織文化は、人が2人以上集まって特定の目的を果たそうとする場合に、必ず持つものと心理学では認識されている。それは何のためにあるかと言うと、「組織」という幻想を共有し、それを同じ形で持続するためであると考えられる。ある意味、動物には必ずある「種族保存本能」の代替機能であると言えるのかもしれない。転職して全く異なる組織文化を持った会社に移ったことのある方なら、おそらく容易に理解していただけるのではないかと思う。

繰り返すが、組織文化は多かれ少なかれ「組織が同じ形で持続するためにある」ものなので、多かれ少なかれ変化を嫌う。だからこそ、変革には抵抗が付き物、ということになる。特に、上位下達の性格が強い組織文化では、意思決定者層から強い抵抗が見られることも多い。「上位下達の性格が強い組織文化」を持つ組織の典型は、軍隊、警察、病院、鉄道などである。彼ら彼女らにとって、上位下達はとても重要なことである。それがスピードと対応すべきことの確実性を担保してくれるからである。

もうお分かりだと思うが、こうした性格の組織文化は、イノベーションの組織的な阻害要因になりやすい。当社では、イノベーションを阻害する組織要因を特定する組織アセスメントも提供しているが、その中ではこのような組織文化も大きな位置を占める。

ただ、これは何も、優秀な現場社員の離職を問題視しているプロジェクトだけの阻害要因ではないのである。「優秀な現場社員」にとっても大きな問題なのである。つまり、現場社員…顧客のために様々な発想や問題解決や技術が要求される人たち…のうち、ハイパフォーマーは、かなり高い確率で、その仕事が「好き」でやっていると考えられる。

仕事が「創造性」を求める度合いが強ければ強いほど、この傾向が高まる。なぜかと言うと、心理学で明らかになっていることだが、創造性は内発的動機が高まることによって生まれるからだ。単純化してわかりやすく言い換えれば、そうした現場社員は「個人的な実験として、あんなこともしてみたい、こんなこともしてみたい」と思っており、それが顧客に対するインパクトを産むこともあるので、顧客からも高評価なのである。顧客にとってみれば、自分達が要望したことを齟齬なく、その通りにやっただけでは、そんなに高い価値は見出せない。当たり前のことなのだが。

この会社が持つ組織文化は「イノベーション阻害要因」になっている可能性が高い。それが現場の様々な工夫に、いちいち横やりを刺してしまうことも多くなる。現場社員として優秀であればあるほど、そこに嫌気が差してしまうことは、非常に想像しやすい。これが、離職の問題とイノベーションの関係性だったわけである。

では、組織文化を変えるためにはどうしたらいいか?

また別の記事として書きたいと思う。


宮田 丈裕 (当社代表)




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