スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

社員の顧客視点の劣化は会社にとって命取り

これを書いている今のつい数時間前の話だが、日本の某新聞社が、自社の電子版の広告キャンペーンをやっているのを目にした。そこでは、その新聞電子版のサブスクリプションを止めると「ビジネス実践力がつかない。つけるためには継続が大事。」というような内容を訴求していた。 私は甚だ疑問なのだが、これは何か証拠でもあるのだろうか。継続した人のグループと継続しなかった人のグループで、その人たちのビフォーとアフターとの差に有意な差があったとでも言うのだろうか。百歩譲って差があったというなら、本当にどんな職種においてもその差があると言えるものなのだろうか。 私がこう反論するのは、確信に近いものがあるからだ。まず関係ない。論理的に考えれば関係あるはずがない。「ビジネス実践力」をどう定義するかにもよるが、わざわざ「実践力」を切り取っているのだから、思考面は含めないと考える方が自然である。そうだとすると、人を動かしたり心を動かしたりする感受性を含めたコミュニケーション面や、他者と信頼関係を構築するところや、信頼関係を構築する過程でのパーソナリティの面、あるいは専門的なテクニカルスキルの面が主に関連してくる。新聞の電子版を読み続けると、コミュニケーション能力やパーソナリティやテクニカルスキルなどが上がるのだろうか。そうだとしたらその合理的な理由は一体何なのか。 二百歩譲って、「ビジネス実践力」には思考面やその前提知識も含まれているとしよう。そうだとすると、例えば私が関わらせていただくことの多い「経営視点」を養成するのに新聞を使うことはできる。簡単に言えば、「自分がその記事の当事者の立場だったとしたら、何を感じ、何を考え、どう解決しようとするか」を想像し、できるだけ多くの状況設定や選択肢を想定することで擬似経験の幅や当事者意識の強さを広げたり高めたりすることができるからだ。しかし、「新聞(の電子版)を読んでさえいれば自動的にビジネス実践力(なるもの)が伸びる」わけではない。そういう意図を持って読む必要があるからだ。 いや、広告では「自動的に伸びる」とは言っていない。私がわざわざこんな文章を書いてまでこの広告を問題視しなければならないと考えたのはそこに関係している。「サブスクリプションを止めると伸びなくなる」というような表現をすることで、少し大げさに言えば「脅し」ているわりに「自動的に伸びる」ことは
最近の投稿

今だから問いたい。『働き方改革』がイノベーションを促進するって、正気ですか?

もしかしたら、既に忘れ去られつつあるのかもしれないが、昔「働き方改革」というものがあった。いや、昔のことに思えるが、調べてみると、2016~18年頃に盛んに議論されていた。 ブラックな働かせ方が横行していた(している?)日本において、私もその必要性は理解できるが、全くもって非論理的な議論も含まれていた。何年かして検証すべきだと思っていたのだが、そろそろ検証してみようと思う。 日本で働き方改革が政府主導で推進され、2017年には、政府による「 働き方改革実行計画 」の中でこう謳っている。 「経済成長の隘路の根本は、人口問題という構造的な問題に加え、イノベーションの欠如による生産性向上の低迷、革新的技術への投資不足。」 ちなみに、私は知らなかったのだが、「隘路」というのは「あいろ」と読むそうで、細くなった道というような意味で、つまりボトルネック、問題点というような意味のようである。さほど一般的でない表現をすることに何か少しでも意味があるのだろうか。 そして、「日本経済の再生を実現させるためには、投資やイノベーションの促進を通じた付加価値生産性の向上と、労働参加率の向上を図ることが必要。」と。 なるほど、と。ただし、ここから先は私にはほとんど理解できないのだが、そのための方法として挙げられているのは、全く悪意なく要約すると、以下のようなもの。 「非正規」という言葉を一掃すれば、モチベーションが上がって労働生産性が上がる。 長時間労働を是正すれば労働参加率が上がり、労働生産性が上がる。 単線型の労働市場・企業慣行が柔軟になれば、付加価値の高い産業への転職・再就職が増え、全体の生産性が上がる。 1つ質問したくなるのは、「非正規、長時間労働、単線型キャリアパスをなくせばイノベーションが起こって生産性が上がるのですか?」という点であり、もしその答えが「そうだ」というなら、さらに「正気ですか?」と問いたい。 いや、それでも成果が出ていればいいのかもしれない。その場合は潔く考えを改めたい。新型コロナウィルスが蔓延した2020年よりも前、2019年度のデータを見てみると付加価値は残念ながら上がっていない。(「 経済産業省企業活動基本調査 」) 新型コロナウィルスの蔓延で経済が縮小しているので2020年以降を見ていないが、仮にこの間、リモートワークが普及したことが「働き方改革」に貢献して

【事例】某産業機械メーカー(前編):イノベーションへのあまりにも冷めた空気

ご相談をいただいたのは、産業機械のグローバル企業の技術部と人事部。ニッチと言っていい分野で高い市場シェアを持ち、日本法人は数百名の従業員が働いている。 この会社では、技術部発の新製品がしばらく出せていない状態だという。そこで、イノベーション創出の方法を学ぶ機会を作りたいというご相談だった。いわゆる「10%ルール」のような、勤務時間の一定割合を自由に、個々人の好きなテーマを深掘りをすることにあてる試みも以前にはなされたが、効果はほとんどなかったという。社長も技術部トップも新製品開発を奨励しているものの、現実に前に進んでいかない状態だった。技術部トップの方は、「やっていいと言われても、どうしたらいいのか分からない状態なのではないか」という仮説に基づいて学ぶ機会を作ろうと発案された。 このための企画を考える段階で色々とお話を伺った中で、私は私なりにいくつかの仮説を持つに至った。まず、技術部員の個人個人に新製品開発の能力があるかどうかとは関係なく、その発揮を阻害する組織的な要因があるのではないか、というものである。もっと具体的に言えば、この会社の事業ではプロジェクト単位で動くことがほとんどで、顧客企業から受注すると、技術部員はそこの工場に同社の製品あるいは技術を導入するために注力する。 このような産業機械業界だけでなく、IT業界(具体的にはシステムインテグレータ業界)や建設業界などもそうだが、プロジェクト単位で動く企業に非常に多いのは、「単年度黒字文化」とでも呼ぶべきものの存在である。それは、近年のプロジェクト会計が厳しくなった背景もあり、プロジェクト単位で利益を出すことを至上命題としており、そうすると基本的に1年度の中で黒字を出すことが求められる。 これは当然と言えば当然のことなのだが、イノベーション創出においては阻害要因になり得る。つまり、利益を出すまでの期間があまりにも短すぎるためにイノベーション創出のための実験期間がほとんど取れなくなるからである。この傾向、あるいは圧力はマクロ経済がデフレーションの傾向が強くなれば尚更強くなる。キャッシュの価値が上がってしまい、投資資産として保有すると、平たく言えば損になってしまうからである。さらには、コロナウィルスの問題によってデフレーション傾向は加速している(ご参考: 日本経済研究センター『コロナ下でのデフレ加速』 )。 つまり

御社ではしていませんか?【ひどい採用面接①】「いきなり志望動機の質問」

新卒採用のほとんどのプロセスがリモートになっている中、そのやりにくさを乗り越えながら採用プロセスを進めている方々、就職活動中、あるいは就活を終えた学生さんは本当に大変だと思う。頭が下がる思いである。 その上で申し上げたいのだが、もちろん、ほんの一部でしかないが、最近、就活中の学生さんの声を聴く機会があった。その中で、「これはひどい面接方法だな」と思うことが何度もあった。ここではその1つ、「志望動機に関する質問」について書きたいと思う。私は志望動機をしつこく聞きまくることにそんなに大きな意味はないと考えている。それは表現方法の巧みさは測れても、志望動機の強さは必ずしも測れない。 志望動機を面接中に質問する企業は非常に多い。それ自体を批判するつもりもない。本当にやる気の高い人、それが持続しそうな人を採用したいという意図だろう。 ただし、そういう質問をする方々は、学生さんの視点に立って考えてみたことがあるだろうか。学生さんにしてみれば、志望動機を聞かれれば、自分の長所とその企業の長所をなんとか結び付け、いかに自分を採用することに意味があるかということを(無理やりにでも)話したいだろう。 しかしながら、学生さんに、そもそもそんなに強い希望があるだろうか? もちろん、一部にはあり得るが、非常に多くのケースではこのぐらいのはずである。 「何をやりたいかといっても、特に具体的な希望があるわけではない。かといって、むやみやたらと様々な業種の企業の、様々な職種を希望するのは現実的ではない。だから一応、業種や職種を絞ってはいるが、そこに確信があるわけでもない。楽していっぱい稼げたら一番いいけど、そんなものがないのは分かっている。せめて、やりがいが見出せて、良い上司や先輩や仲間に恵まれて楽しく仕事して、給料も高望みはしないけど、安すぎない企業に就職したい。その中でたまたま情報を見て応募してみた。もちろん、内定をもらえるなら考えたい候補ではあるけど…。」 私が学生さんの声を聴き、本音を推測するところによれば、特に技術職以外では非常に多くのケースでこの程度である。 それにも関わらず、面接まで進むと、当たり前のように面接官は「うちの会社の志望する理由を教えてください。」と、なんならかなり早い段階で質問をする。あるいは、会社説明会なのにいきなりそんなことを聞かれたという声もあった。あるいは、エン

ビジネス着眼とは伸ばせる能力なのか?(ドリル受検対策⑥)

 結論から先に言えば、「ビジネス着眼」という能力項目も、十分に訓練可能なものである。決して先天的なものでもなく、伸ばせない能力でもなく、ビジネスの経験がなくても伸ばせるものである。 とはいえ、もちろん、ほぼ先天的にビジネス感覚の鋭い人はいるし、逆に、ビジネスに興味のない人だっている。なので、程度の差はあるが、それを伸ばしたいと思って効果のある方法を採っていれば訓練して伸ばすことはできる。 この「ビジネス着眼」という能力は、ノウハウやスキルとは別の次元のものである。近年はビジネス的なノウハウを提供している動画や文章が非常に増えている。集客方法、マーケティング方法、売上を伸ばす方法などといった、小規模ビジネス向けのノウハウから、効率的な仕事の進め方、コミュニケーション方法など、もっと一般的なノウハウや専門分野のノウハウまで、あらゆるノウハウに溢れている。 そういうもののうち、あなたが興味をもったノウハウを学ぶことを止めはしないが、それだけでは「ビジネス着眼」は伸びない。その学びをあなた自身の仕事の実践にどう活かすか、どこをどう変えるか、どこがうまくいってどこがうまくいかないか、うまくいかないところをどう解決するか…こうしたことを考えることで「ビジネス着眼」が伸びる可能性が出てくる。 つまり、ビジネス・ノウハウは、あたかもそれが唯一の正解であるかのように提示されることが多いが、それは必ずしも真実ではない。唯一の正解などこの世には存在せず、一瞬存在したとしても常に変化する。実際、たった5年前に提供されていたwebマーケティングのノウハウは、今でも全て有効かと言うと、そうではない。 むしろ、「唯一の正解などこの世には存在せず、一瞬存在したとしても常に変化する」ということを前提としないと、「ビジネス着眼」の能力は伸びないだろう。そこが出発点である。ちなみに、ビジネス・ノウハウがメディアに溢れていることは、ビジネス着眼、ビジネス感覚、ビジネス視点を作る上で邪魔になると私は考えている。なぜなら、独立・起業しようという人が、当たり前のように”正解”を求め、それに忠実にやることがビジネス上の成功の秘訣であると大いなる勘違いをするからだ。それはその人の成功の秘訣ではなく、ノウハウ提供者の成功の秘訣でしかない。(だからこそ、あたかもそれが唯一の正解だと思わせるような表現をしているケースが多

イノベーション人材アセスメントをどう活かしたらいいか?

ここでは、イノベーション人材アセスメント(名称は提供サービスによって異なります)を受検された方がその結果を受け取った時のご参考までに、その活かし方を解説したいと思います。 まず、あなたの結果は、全体的にどうでしたか? 評価の低さにがっかりしていますか? それとも、全体的に高くてびっくりしていますか? あるいは、高いものも低いものもあった、という感覚でしょうか。 評価が全体的に低くても、または低い項目があっても、引け目を感じる必要はありません。これはあくまで「イノベーション創出人材としての素養」を測ったものであり、あなたのこれまでのキャリアでイノベーション創出を試みた経験が少なければ鍛えられない能力項目が多いはずです。その中でも高い項目があれば、それはあなたの天才的な部分か、イノベーション創出とは言えない経験の中で鍛えられた部分ではないでしょうか。 「イノベーション創出を試みた経験」は、もっていない方が大半です。しかし、経験がなくても、基本的には誰にでも可能性はあります。つまり、全ての能力項目が、鍛えれば伸びる能力ばかりです。なので、がっかりする必要は全くなく、ごく自然なことです。 また、能力項目は「全てにおいて一定レベル以上なければならない」わけでもありません。もちろん、イノベーション人材にとっては「ほぼ必須項目」と言えるものもありますが、それ以外は「あればあるほどいい」という位置付けです。 そもそも、「イノベーション創出」のプロセスでは、一般的な業務とはかなり違う側面が求められます。だからこそイノベーション創出の経験がなければこうした能力をもっていなくても全く不思議ではありませんし、経験があっても鍛えられていないケースも非常に多くあります。(ご参考: イノベーション失敗パターン④:【効率的作業組織 vs イノベーション創出組織】 ) さて、こうした前提がある中で、あなたはその結果を受けてどうしたいですか? 例えば、「私はイノベーション人材になりたいとは思わないから、この結果を受けてどうこうしようとは思わない。」という本音もあり得ます。それはそれで、もちろんアリだと思います。 もし、「この能力は高めてみたい」とあなたが思うものがあれば、ぜひ以下をご参考にしてみてください。 まず、能力項目には大きく分けて2種類あります。「人間力」と「創造的知的能力」です。このうち、人

あなた自身と部下の成長のために② ~STARを使った振り返り

成長のためには「振り返り」が必要であることを『 あなた自身の成長のために① ~成長できる人の2つの条件 』で書いた。 『デイヴィッド・コルブ氏の経験学習モデル("Experiential Learning Theory")というものがあるが、それに当てはめると分かりやすい。経験学習モデルを簡単に紹介すると、人は経験を通して成長することができる。それには4つのプロセスを経ていることが必要で、それは具体的な経験、省察、概念化、実践的試行であり、それは循環する。つまり、何かを経験して、それを振り返り、「こういう時にはこうするといいんだな」とか「こうした方がうまくいくんだな」などと理解し、それを別の機会で試し、そしてまた新たな経験に戻る。 このうち、うまくいかない経験の後、それを省察することによって生まれるのが成長意欲である。つまり本人が行動変容の必要性を感じている状態である。特に人は忙しくなると、省察は抜け落ちる。実践的試行も少なくなる。そうすると経験と概念化だけになるので、要するに仕事も忙しい中で、勉強したり新たな知識を得ているような状況だが、この2つが結び付かないようなケースである。そうすると人は成長しない。』 ここでは、その振り返りをどうやってするかについて書きたいと思う。というのも、振り返りは難しい。振り返りはある程度客観的である必要があるが、人間は誰でも主観から逃れられないからだ。 そこで助けになるかもしれないのが"STAR"という概念である。これ自体は非常にシンプルである。 STARというのはS, T, A, Rという頭文字を取ったもので、それぞれは以下のような意味がある。 Situation:状況…あなたがある一時点で置かれた状況。あなたを取り巻く環境。 Task:タスク…その時点であなたがやるべきだった事柄。ミッション、役割、責任範囲。 Action:言動…その時、あなたが取った行動、言動。 Result:その結果どうなったか。 1つ単純な例を挙げてみよう。営業担当者の方がSTARで省察をするとしよう。Situationは、例えば、 「担当する顧客企業があったが、前任者の時にトラブルがあり、先方から信用されていなかった。」 Task。 「自分が担当することになり、以前は大きな顧客だっただけに、そちらのキーパーソンの方

あなた自身と部下の成長のために① ~成長できる人の2つの条件

人間は誰でも勝手に成長するものではない。もちろん、それはキャリアにおいての成長の話だが、むしろ非常に多くの人が、成長を望んでいないような行動を取ることは、『 人間の「非」成長性と適材「不」適所 』でも書いた。簡単に言えば、口では「成長したい」と言う人の驚くほど多くが、実は「既に持っている能力を使ってより大きな成果を出したい、認められたい」ということを意味していて、それは再現性の高い行動変容を含んでいないのだ。 あるいは、学校に行って、あるいは独学で、場合によっては資格を取るために勉強することが成長だと暗に思っている方もいらっしゃるが、必ずしもそうとは限らない。なぜかというと、知識を増やすことは行動変容とイコールではないからだ。 ではどういう人が成長できるのか。タイトルの通り、2つの条件があると考えられる。もちろん、もっと挙げようと思えばたくさん挙げられるが、つまづきやすいのがこの2つである。 条件1:意外に難しい「成長意欲」 1つは、当たり前なのだが、「成長意欲」である。成長意欲と言っているのは、ここが当たり前でない点なのだが、本人が行動変容の必要性を感じていることである。上記の通り、そういう人は実は多くない。 こういう風な言い方もできる。人間は、通常の状態であれば、上記のように「より大きな成果を出したい、認められたい」し、その前提としては自分が既に持っているものを使いたいものだが、「自分はダメだ」、「このままではやっていけない」などと感じているような、ある程度非常事態になった時にその必要性が出てくる。 デイヴィッド・コルブ氏の経験学習モデル("Experiential Learning Theory")というものがあるが、それに当てはめると分かりやすい。経験学習モデルを簡単に紹介すると、人は経験を通して成長することができる。それには4つのプロセスを経ていることが必要で、それは具体的な経験、省察、概念化、実践的試行であり、それは循環する。つまり、何かを経験して、それを振り返り、「こういう時にはこうするといいんだな」とか「こうした方がうまくいくんだな」などと理解し、それを別の機会で試し、そしてまた新たな経験に戻る。 このうち、うまくいかない経験の後、それを省察することによって生まれるのが成長意欲である。つまり本人が行動変容の必要性を感じている状態で

名リーダーの条件② ~ 教えないこと

ここでは、「教えない」という名リーダーの特長について書きたいと思う。これは『 名リーダーの条件① ~ 普通でないことをやろうとする才能 』でこのように触れたが、 次に、「あまり教えない」ということ。教え魔に名コーチはいない。ほとんどのケースで。これを書き始めると長くなるので、これはこれで別に書きたいと思う。 それがこの記事である。教えないことというのは人の成長の促進…つまり教育には大変重要なことである。 「いやいや、義務教育では、先生は『教えること』しかしてないじゃないか?」という反論があるかもしれない。おっしゃる通り。だから義務教育が問題だらけなのだ。 「いやいや、教えることが身になることもある。『教えない』となると、その機会も奪うことになるじゃないか?」という次の反論があるかもしれない。その通りで、では、どのようなタイミングが「身になる」タイミングか、ということが問題なのである。そのタイミングを全く見ずに教えようとするのが私の言う「教え魔」である。教え魔はこんな風に考える。説明・解説がわかりやすいことが良い教え方だと。これは完全なるプロダクトアウトである。 そのタイミングを見極めずに人に教えた経験は誰にでもあると思う。その結果は「教えたところで何も変わらなかった」ということが多いと思う。私が見てきた限りではあるが、教えているシーンの、少なく見積もっても半分以上はタイミングを見極めていないように見える。 タイミングとはどういう時なのか。『 「人を育てようとすること」の大きな落とし穴 』にこんなことを書いた。 「あなた自身が成長してきた過程を思い起こしてください。あなたは『上司が思った通りに成長しよう』と思って成長しましたか?違うはずです。あなた自身が『こういう能力が自分には必要だ』と思ったから努力してそれを成し遂げたはずです。どう成長したいかを決めるのは本人でしかありません。『上司の意図通りに育てられる』という暗黙の前提が全くの間違いなんです。」 タイミングとは、「本人が必要性を感じている時」である。できれば「痛感している時」である。何回やってもうまくいかない時。どうやってもうまくいかない時。やり方は間違っていないはずなのに結果がついてこない時。どうしたらいいのかわからなくなってしまった時。 こういう状態になるのは、「良くない結果が出てすぐ」ではない。「何回やって

名リーダーの条件① ~ 普通でないことをやろうとする才能

私はスポーツの名将や名コーチが好きで、そのチームの試合を見たり、自叙伝のような本を読むことは趣味と言ってもいい。スポーツと言っても、チームスポーツの球技がほとんど。ただし、純粋な趣味と言い切れないのは、それはリーダーシップの教科書のようなものだからだ。 どういう人が名将・名コーチか、という定義というか条件というのは人によって色々だろうが、好成績を継続的に上げることと、継続的に優れたプレーヤーがその人の下で育つことと私は思う。その2つは相互補完関係にあるが、既に完成されたプレーヤーを集めて好成績を上げることも可能なので、その2つの両方が揃っていることだと考えている。もちろん、そのようなことも簡単ではないと思うが。 ある時、私は「私が思う(競技を越えた)名将・名コーチの共通項って、一体何だろう?」と疑問に思った。そう思うと調べずにはいられなくなった。もちろん、お国を問わず。 まず最初に発見したのは、「人間味を出す」ということだった。もちろん多少の演技や方便もあるだろうし、全ての人ではないが、「自分らしい、一人の人間として存在する」ということだ。偉そうにすることはもちろんあまりないし、何か演技していたり、過度に我慢したり…などといったことをする人は少なかった。 この点は私にとってはちょっと意外で、「あえてプレーヤーとは距離を置く」とか、「威厳を保つ」とか、そういう人がもっと多いかと思いきや、実際にはそうではない人の方がずっと多い。 次に、「あまり教えない」ということ。教え魔に名コーチはいない。ほとんどのケースで。これを書き始めると長くなるので、これはこれで別に書きたいと思う。( 「名リーダーの条件② ~ 教えないこと」 ) この2つを見つけて思ったのは、「名将・名コーチはその人らしくあり、自然体が多くて、あまり教えることがなく、何気なく雑談していることが多い … それって、普通の人だな。他に何かないんだろうか。何か特別な何か…。」 その後、しばらく探していたのだが、共通しているとまで言えることが全然なかった。 しばらくして気付いた。共通項がないし、あっても普通のことということは、「それぞれ独自のやり方でやっている」ということと言い換えられる。物事には原因と結果とがあるが、普通のやり方(原因)をやれば普通の結果が返ってくるわけであって、普通ではない結果を出している人は普通で

「タイプ分けする検査」は矛盾している

世の中には、人をタイプ分けするような試みがある。それがアセスメントのような形で提供されているケースもあるようである。 タイプを先に見せられると、「自分がどれに当てはまるのか?」ということが気になってくる。そして、往々にして、自分が感じること、考えること、行動することを自分で選択するような質問に答える。そうすると「あなたはこのタイプ」と出てくる。 「当たってる!」などという反応。当たり前である。自分で「自分は自分をこう理解している」と思いたい姿について答えているのだから、当たっていると思わなければ、その姿が間違っていることになってしまうのだから。 いわゆる心理テストと似た作りだが、よくある誤解は、心理テストが心理学に基づいている、ということである。そうとは限らない。心理学、あるいはどんなものであれ科学に基づいていれば完璧に正しいかと言えばそんなこともあり得ないが、いずれにしても、自分のことを自分で答えるという方法論は、そもそも、心理学用語で言う「セルフイメージ」と矛盾している。 セルフイメージとは、先に書いた”姿”のことだ。それは得てして、自分が自分がこうだと思いたい姿である。これは実際の言動とはかなりずれることもある。というか、普通は大いにずれる。要するに、自分のことは自分が一番分かっていない、ということである。 まず、自分で自分のことを答えるということが、セルフイメージに孕む主観性を取り除けない、という点がある。 さらに重要なのは、タイプ分けの多くは人の”性格”的な特性を分類していて、それによって仕事上の適性を説明しているが、専門職の適性ならまだ分からないでもないが、リーダーシップのタイプ分けまでしているものを見かける。 専門職であれ、リーダーシップであれ、そのタイプが分かったところでその通りに会社が配置してくれるのだろうか。もし配置されたとしても、その性格に合った状況だけが訪れてくれるのだろうか。リーダーであれば、あるいはプロであれば、自分の性格がどうだから…ということに関係なく、その状況には対応していかなければならない。 市場シェア1位の自社商品をメインに売っている営業部門のマネジャーが、後発の強力な競合が登場してシェアが見る見る減っていき、明らかに競合の商品性が高い時にどうするのだろうか。「すみません、私の性格と合わない状況になったので異動お願いしまーす」な

テレワークによるストレス問題

テレワーク、あるいはリモートワークでコミュニケーション不足になることが指摘されている。そのためにコミュニケーションを”追加”するような取り組みもされていることも多いようだが、それは短期的には必要なことは言うまでもないが、中長期的にはもう少し根本的な部分の変化が必要になってくるだろう。 その話をするために、少々回り道をさせていただきたいと思う。 別の記事*にも書いたが、人間が集団を構成する時に「暗黙の前提」を共有する。それによって「組織の一員になれた」などと実感する。この暗黙の前提の集合を組織文化という。組織文化は組織に固有のものだが、日本に拠点のある組織(つまり日本企業だけでなく外資系企業も含む)はある程度共通して持っている「暗黙の前提」がこのテレワークのコミュニケーション不足問題と関連しているので、日本の文化といってもいいかもしれない。 *   『 離職率の高さとイノベーションの意外な関係性 』    『 リーダーが全員の意識を変えようとする時 ~ 組織文化の変革 』 ここで関係する暗黙の前提とは、「意思決定は、関係者の合意によってされる」という前提である。「そんなこと、当たり前じゃないか」と思われる方もいるかもしれないが、必ずしも当たり前ではないし、当たり前だと思うということは「暗黙の前提」になっている証拠でもある。 ボトムアップ文化の色合いが強い組織ほど、この傾向が強いと言えるかもしれない。ボトムアップ文化とは組織の末端、つまり、いわゆる「現場」が強い発言権を持つことだ。本社側からすれば、何か施策を打ち出す時にはやたらと現場に気を遣ったり、現場に浸透させるのがやたらと説得やら説明やら個別対応やらで難しかったり、時には現場の抵抗でとん挫してしまったり、役員会が部門代表の場だったり…そういう風な現象として現れる。 だからこそ、やたらと「根回し」や「調整」が必要だったりもする。これは残念ながら、1人あたり生産性にも悪影響を及ぼしていることは間違いないだろうし、非常に多くのケースで海外現地法人などから出る「本社は意思決定が遅い」という不満にも繋がっていることも間違いないと言っていい。 しかし、あなたの所属する組織が、例えばオーナー経営者が誰よりも大きな発言権を持つ企業だったりすると、意思決定は速いことの方が多い。そのことからしても、一般的なオーナー経営者が個人で責任を

リーダーが全員の意識を変えようとする時 ~ 組織文化の変革

色々な人にインタビュー(・アセスメント)をしていると、多くのリーダーが「~という風にメンバー全員の『意識』を変える必要がある」ということを言う。そして、得てして、それは結構難しい。 『意識』という概念が簡単に使われるが、人間の心理には意識と無意識があり、意識というのは水上に出た氷山の一角のようなもので、無意識の領域はそれよりも遥かに広いとされている。 常に極めてロジカルで合理的な判断に基づくガチガチの人でも、自身の無意識に、暗黙のうちに大いに影響を受けることがある。その最も影響が大きいものの一つは組織文化であると言える。 組織文化とは何か。別の記事に書いたのだが、それをそのまま書くと、 組織文化とは、エドガー・シャイン氏の定義に基づいて言えば、「メンバー個々が持ち、組織として共有している暗黙の前提」のことである。組織文化は、人が2人以上集まって特定の目的を果たそうとする場合に、必ず持つものと心理学では認識されている。それは何のためにあるかと言うと、「組織」という幻想を共有し、それを同じ形で持続するためであると考えられる。ある意味、動物には必ずある「種族保存本能」の代替機能であると言えるのかもしれない。転職して全く異なる組織文化を持った会社に移ったことのある方なら、おそらく容易に理解していただけるのではないかと思う。 繰り返すが、組織文化は多かれ少なかれ「組織が同じ形で持続するためにある」ものなので、多かれ少なかれ変化を嫌う。だからこそ、変革には抵抗が付き物、ということになる。特に、上位下達の性格が強い組織文化では、意思決定者層から強い抵抗が見られることも多い。「上位下達の性格が強い組織文化」を持つ組織の典型は、軍隊、警察、病院、鉄道などである。彼ら彼女らにとって、上位下達はとても重要なことである。それがスピードと対応すべきことの確実性を担保してくれるからである。 さて、ここでのテーマは組織文化の変革だが、上記の通り、組織文化は原則的に変化を嫌うもので、それは元々「組織が 同じ形で持続するためにある」ものだからである。したがって、組織の中でどれだけ絶大なる権力を持っている人でも、組織文化を変えるのはその性質上とても難しいのである。 目に見える範囲の現象で言えば、「~という風にあなたの意識を変えてほしい。」「はい、わかりました。」という会話をしながら、結局何も変わらない

思考表現とは何か?(ドリル受検対策⑤)

思考表現とは、思考しながらその過程を表現することであり、表現しながら思考を整理し、さらに発展させることである。雑談や友達同士のお喋りのように、何を表現するかを予め決めずにその時々の反応や思い付きで表現する内容を決めることだが、ただし、思考を回転させながらそれをすることである。 したがって、沈思黙考タイプの人は少し苦手かもしれない。自分の中で黙ってじっくり思考し、結論を見つけてから今度はそれをどのように表現するかを考える…というパターンの表現では、ここでは不十分になりやすい。 イノベーションの創出プロセス…そんなに大袈裟ではなくても、何か従来にないものを創り出す要素がある集団での活動の中では、個々人の暗黙知を表現して共有し、形式知にしていく必要がある。1人の個人でやる活動なら自分一人の中でやればいいので共有は必要ないかもしれないし、感覚知で十分かもしれないが、集団となると、言語化や何かしらの表現は必要である。この点については、野中郁次郎氏のSECIモデルをご参考にしていただきたい。 多かれ少なかれ、「弁証法」的でもある。例えば、思考テーマがあり、まずはとりあえずの自分なりの答えを出す。しかしそうすると問題点や矛盾が出てくる。それに対してどう答えるか。こうした自問自答のような対話を繰り返す。 思考というものは、若干比喩的に言えば、自問自答のようなものである。自分で問いを作り、自分で答えを出す。それを発展させていく。どういう内容であれ、どういう方向性であれ、創造的思考を発展させるのがうまい人は、頻繁にこれをやる傾向がある。そうでなければ、基礎発想的なスキルで発案したアイデアでは、非常に薄っぺらくなりやすい。基礎発想はそれでいいのだが、それを十分に発展させ、深化させる必要がある。 私自身は、自分で客観的に見て、これが下手ではない。意識してそうするようにしていて、うまくなってきているのではないかと思う。つまり私が言いたいのは、訓練可能なスキルである。ちなみに、私はここにある記事は全てこの表現方法で書いている。書く内容を予め決めたりしていない。もちろん、大枠でのテーマはあるが、それに対して答えを出し、「自分が読み手だったら」そこで浮かぶ反論を問いにして、話を展開させている。いつの間にか長くなり、いつも何千字という文字を書いてしまう。 思考表現をしている人というのは、文章が長い傾

対策が難しい「人間的影響」(ドリル受検対策④)

受検対策シリーズとして今までに3本書き、ある程度気が済んでいたが、9個中3個しか書かないのもどうかと思い、4本目を書こうと思う。今回は「人間的影響」である。 人間的影響は、「イノベーション人材に求められる人間力」にカテゴライズされる能力要素である。人間的影響とは、「人間としての魅力を出して他者を感化させる」ことである。 わかりやすく言うとリーダーシップでもある。でもあるが、リーダーシップだけではない。人望(これはリーダーシップに近い部分があるが)とか、いわゆる”愛されキャラ”のようなものも人間的影響の一部だろう。(別記事『 測定しにくいイノベーション能力、「人望/愛されキャラ」 』参照) 人はリーダーシップを取る時、大きく分ければ2つの力を使うと言える。1つはポジションパワーであり、1つは人間としての魅力である。ポジションパワーとは、役職によって与えられた権力やその他の力を指している。例えば、肩書が付いていることで「その人の言う通りにしよう」と思わせる力である。社長とか部長とか課長とか、CEOとか理事長とか書記長とかチェアマン(ウーマン)とか。あるいは過去の実績や、知られている組織や人の威を借ることとか。 ちなみに、ポジションパワーを使うのは当たり前と言えば当たり前だが、それだけの人というのがいる。芸術分野でさえこれが横行している。例えば、ミュージシャンの紹介をよく聞いてみると、音楽そのものの紹介とは全く無関係で、ポジションパワーを使いたいだけのことが非常に多い。元何とかというバンドでブレイク、何々という曲がチャートNo1ヒット、誰々も絶賛・共演、とか。音楽そのものは実質的に、完全に過去の他人のヒット曲の焼き直しだったりすることも多い。呆れ果てる。 それだけでない力によって人に影響を与える、自発的に行動を起こしてもらうのがこの「人間的影響」である。 イノベーション人材が他者に感化させることや影響を及ぼすことが必要なことは比較的わかりやすいが、なぜ「人間としての魅力を出」すことが含まれるのか? 他の記事でも書いているので繰り返しで恐縮だが、イノベーションというものは「結果論で」イノベーションと呼ばれるのであり、それが産み出されるプロセスにおいては、いたとしてもごく僅かな人数だけがそれをイノベ

上位概念化とは何か?(ドリル受検対策③)

イノベーション人材に求められる能力には色々ある。しかし「最低限これだけは共通して必要だ」というものは少ない。「我事化」や「知的好奇心」などといったところだと考えられる。しかし、それ以外では、「あればあるほどいい」し、「なければ始まらない」というわけでもない。 イノベーション人材に求められる能力というと、「創造性」「創造力」「クリエイティビティ」といった能力を一番先に思い起こす人が多いようだが、重要であることは間違いないが、唯一絶対の一番重要項目かというと、そうとは限らない。 私達は創造性のような能力を「(イノベーション人材に求められる)知的能力」に分類しているが、その一方で「(イノベーション人材に求められる)人間力」というカテゴリーもある。どちらの方が重要と言うことは難しいが、人間力が必要条件で、知的能力が十分条件のようなものだと考えられる。つまり、人間力は「なくてはならないもの」に近いが、それだけでイノベーションが起こせるわけではなく、その上に知的能力があって初めて実現できる可能性が出てくるわけだが、だからと言って保証されているわけでもない。人材育成やアセスメントに携わる者として、これほど難しいものはない。「難しい」と書いて「おもしろい」と読むのだが。 さて、そうした知的能力の中で重要なものの1つが「上位概念化」である。知財分野ではよく使われる用語でそこから転用したものであるが、意味は多少なりとも違う。上位概念化は知的能力の中でもとても難度が高く、これができる人というのはたくさんいるわけではない。少なくとも日常生活や一般的な職業の通常業務ではなかなか育ちにくい。 それでも重要なのは、特に「イノベーション・プロデューサー」の役割に特にこの能力が求められるからだ。(『 イノベーション創出の最重要人物:「イノベーション・プロデューサー」 』参照) 上位概念化とは、認識した具体的事象から抽象化し、上位概念を取り出すことである。上位概念とは、本質、構造、真の目的、共通性などのことで、どれも表面に現れて来ない。だから認識しづらいし、疑おうとも思わない。 例えば、テニスというスポーツにおいて、目に見えやすいのは試合結果や、ゲーム中の選手の動き方、表情などといったところだろうか。そうした段階を、一段上位概念化すると

イノベーションを阻害する切迫マネジメント

イノベーション創出のためのマネジメントと、効率的作業組織の維持とそれによる問題解決のためのマネジメントはまるで違う部分がある。シンプルに言えば、前者では、余裕と切迫のバランスを、余裕重視にした方が適しているが、後者では切迫重視にする方が適していると言える。 別の記事『 イノベーションの試みのうち8割がこの「失敗パターン」にはまる~① 』シリーズでは、4回目に『 イノベーション失敗パターン④:【効率的作業組織 vs イノベーション創出組織】 』という記事があり、その2つのタイプの組織の違いについての詳細はご参考にしていただきたいが、チームマネジメントのやり方としては余裕と切迫の振り子が重要で、効率的作業組織なら「普段は切迫、時々余裕」なのかもしれないが、イノベーション創出組織なら「余裕中心、ところどころで切迫に振る」というイメージだ。 余裕重視マネジメントでの切迫とは、例えば、時々「この挑戦で5年後の営業利益10億を目指してるんだったよね?忘れてない?」とリマインドするようなことであり、切迫重視マネジメントでの余裕とは、昔で言えば、時々「ノミュニケーション」でガス抜きをするようなことが一例である。 ただし、現実には、「あなたのチームはイノベーション創出組織、あちらのチームは効率的作業組織」などと明確に分けられていないことの方が圧倒的に多い。効率的作業組織が、その業務の傍らでイノベーション創出を求められていることの方が多いのではないか。 切迫中心のマネジメントとは、極端に言えば、イソップ寓話「北風と太陽」の北風のマネジメントとも言えるかもしれない。 私は他の記事でも何度もこのことを書いているので繰り返し読んだ方には申し訳ないが、この点が気になっている。というのは、近年の日本企業の全体的な傾向として、イノベーションを追求しようという企業は多く見えるものの、切迫中心から余裕中心になりつつあるかというと、むしろその逆だからである。 というのも、1990年代の国内外の経済危機、2008年以降のリーマンショックと、その前後にあったコンプライアンス/ガバナンス重視などを背景に、切迫重視は徐々に強化されてきている。何かネガティブな大事件をきっかけに「社内の統制をより厳しくする」という打ち手は心理的には理解できるが、その弊

知的好奇心とは何か?(ドリル受検対策②)

イノベーション人材に求められる能力 のうち、最も基本的で重要なものの一つは「知的好奇心」である。他にも「我事化」を 別記事 で挙げたが、「見たことがないものを見た時に知的好奇心が強まり、それを基にして我事化する」ことがなければ、イノベーションのその人自身のきっかけがなくなってしまう。 何度も言うようだが、世に言われるイノベーションは結果論である。それが創り出されるプロセスにおいては、それが多くの人のライフスタイルや常識を変えてしまうようなものになるとは、関係者全員が思っていないかもしれない。つまり、関係者にとっても「見たことがない」もので、「は!?何これ???」…言語化すれば、根底にパラダイムシフトを含んだものでもあったりするかもしれない。従来の枠組みや視点や価値観ではどうにも理解しようがないものかもしれない。 その時に発動させるべきものが知的好奇心である。「は!?何これ???」に続いて「面白そう…」とつぶやく精神と言ってもいいかもしれない。 イノベーション人材の能力は、「自分自身をイノベーション人材だと位置付けたい人」や「会社にイノベーション人材だと認定された人」だけに役立つものではない。「自分はイノベーション人材ではない」という人にとっても、基本的能力があると、周囲で起きるイノベーションの試みをむやみに否定しなくなる。これもとても重要なことだ。 知的好奇心とは、経験のない物事に対して興味を持つ心理的プロセスである。なぜ「好奇心」だけではなく、「知的」好奇心と言っているかというと、好奇心は高等動物全般が持つ、本能に基づくと思われるもので、「知的」が付くと人間特有のものになり、本能に基づかずに思考や心理メカニズムによって興味を持つことだからである。 好奇心は高等動物全般が持っているものと言ったが、そうであるとすれば、知的好奇心は人間全般が持っていてもおかしくないことになる。実際、ご存知の通り、特に人間の子供の1才から3才ぐらいの時期には、知的好奇心が強くて何でも触ったり食べたりしようとするので、むしろ危ないことも多いほどである。3才~6才ぐらいでは、「なんで?」という質問を連発したりする子も多い。 しかし、大人の人たちに「あなたは、自分が好奇心旺盛だと思いますか?」と尋ねると、実際に研修や講演で訊くのだが、「いいえ」と答える人はおそらく半分以上だ。あなた自身はどうだ

なぜこんなに大量に記事を書いているのか?

私は今、このような記事を集中的に書いている。ここでは、番外編として、私がそうしている背景や意図を書きたいと思う。 まず、アセスメントに携わってきた中で、私は本当に色々なことを学ばせていただいた。最初の数年はアセッサーとしての技術習得に必死で、その後、インタビューが面白くなって大量にインタビューの仕事をしていた。 インタビューが面白くなったのは、極めて優れたリーダーや経営者の方々から素晴らしい話を聞けたというのが理由の一つである。私個人としてとても大きな学びになったし、彼ら彼女らの「真似をしよう」と始めたことは数多く、その中でも今でも続けていることも多い。彼ら彼女らはそんなつもりはなかったはずだが、私の偉大な先生達であり、私はとても感謝している。 この時期に何百人、何千人にインタビューをしているので、様々なエピソードを思い出すが、手短に書けることとなると限られているので少しだけ。 ある方はインタビューを受けるために札幌から東京に来てくれた。銘菓のお土産まで持って来てくださったことには驚いたが、それ以上に感心したのは、「これ、よかったら食べてください。美味しいんですよ。」と言って箱を開け、まず自分が1つ開けて食べていた。これがなければ遠慮していたと思う。昔ながらの対人対応かもしれないが、非常に上手だなと思った。単純なことに見えて、簡単にできることではない。実際、北海道の地場の人脈を広く深くお持ちだった。(ただし、アセスメント上の評価がお土産によって変わることはない。いや、 ほとんど ない。笑) また別の会社でのインタビューは、かなり違う意味で忘れられない。その会社が別の同業会社を買収し、買われた会社のシニアマネジャー全員をインタビューしたのである。買収直後で、買収後統合(いわゆる "Post-Merger Integration" (PMI))の一環として行われた。そのインタビュイー(インタビューされた人)のうち結構多くが、少なくとも最初は、手が震えていた。3~4mは離れていたと思うが、はっきり分かるほどだった。買収され、不要人員の首が切られると思っていたのだろう。「この時間次第で自分の行く末が決まる」と。そんな噂も立っていたのかもしれない。たぶん、実際には解雇はなかったと思うが、あまりにも印象的だった。 また、ちょうどその頃に『トレーラーハウスから

我事化とは何か?(ドリルの受検対策①)

「イノベーション人材」にとって、我事化は最重要の能力項目の一つだと言っていい。我事化とは、何らかの事柄を自分のこととして捉えて能動的な行動に繋げることである。「当事者意識」と言い換えてもいい。我事化の逆は「他人事」にすることであり、建設的でない評論や愚痴はこの典型例と言える。 対談の中で古森剛氏も語っている が、架空の質問に対する答えとして「私ならこうする」というような言い方をする人は我事化の力が高いことが多い。我事化が弱い人の典型像は、誰かが出した答えに対する論評はやたらと立派で賢く見えることがあるかもしれないが、自分がやるとなると言い訳をつけたがったり、保険をかけたがったりして、返って来た結果に対しては自分の責任をあまり感じずに、むしろ他人のせいにしたりもする。 もちろん、我事化の力が高い人でも、我事化しない事柄もある。だからこそ、イノベーション人材の最も基本的な能力として我事化と知的好奇心がセットなのだが、ただ、我事化のスイッチを入れようと決めたことに関して我事化できるかどうかは大きな差がある。ある意味「やる気スイッチ」と呼んでもいいかもしれないし、「コミットメント」にもかなり共通した側面があると思う。 既にご想像されているかもしれないが、我事化が大事なのは、イノベーション人材に限らない。我事化は社会人の基本と言ってもいいと私は思う。社会人だけではないだろう。例えば、高校や大学の受験生が、受験勉強を他人事や”やらされ感”でやっていたら、その効果は限られてしまう。人生を前向きに生きるための能力と言っても過言ではないかもしれない。 ところが、これをやれる人というのは意外に少ない。大きな会社に勤めていると、自分の会社が「自分の会社だ」と思う意識は弱くなるのも自然かもしれないが、会社全体をより良くするための課題を他人事と捉えてしまう人は極めて多い。インターネット社会、特に掲示板文化に見られる誹謗中傷においては、全てが他人事であるかのような人もいる。つまり、我事化は社会にとっても無意味なことではない。 「責任感」も我事化に近い概念だが、責任感はどちらかと言えば、役割とセットになっていることが多い。「自分の役割範囲はここ。だからこの件は自分がやるべきこと。」というロジックが背景や無意識にあるように見えることが多い。それに対して我事化は、役割とはあまり関係がない。「あなたが

小規模企業にとっての人材育成体系

「小規模企業」だからと言って、社員の育成に対する考え方は変わるものではないが、ケースとして多いと思うのは、「今まで何もしてこなかったので、1から作りたい」というような状況ではないかと思う。そうでないケースとしては、「あまり体系的になっていなかったので見直しをしたい」というケースかもしれない。 いずれにおいても、まず何を考えていけばいいかということと、小規模ならではのメリットというものがあるので、それがどういうものかということについて書きたいと思うので、少しでもご参考になればと思う。 まず、考慮するといい点が3つある。あるいは注意した方がいい点、と言った方がいいかもしれない。 1点目は、「社員を思い通りに育成することなどできない」ということである。これは「 『人を育てようとすること』の大きな落とし穴 」にも書いたことだが、「人は自分で、自分の必要性に応じて成長しようとする」のであって、「上の人の必要性に応じて育てられる」ものではない。 しかし、多かれ少なかれ体系的に育成を図っていこうとするということは、多かれ少なかれ社員を一括りに扱うことであり、下手をすると矛盾する部分である。したがって、育成体系は、経営者が「こうなってほしい」というものと同時に、社員本人が魅力的だと感じたり、メリットがあると捉えられるものである必要がある。 社員が魅力やメリットとして感じるかどうか、感じるものはどういうものか、ということは「きっとこうだろう」という決め付けを決してせずに、声を聴いてほしい。本人がどういう風になっていきたいのか、5年後、10年後に(年数は会社によるが)、本人がどうなっていたいのか、といった点である。つまり、経営者が「こうなってほしい」という像と、本人が「こうなりたい」という像のすり合わせである。 中には、本人の「こうなりたい」という像が明確になっていないケースがある。特に、期待に応えてその責任を果たし、周囲から喜ばれ、さらに重要な役割を任せられることをモチベーションの源泉とするような人は、そういう像が持てないことも多い。 そういう時にも「なりたい像」を作ることを決して強制したりしないことである。強制したところで、経営者が喜びそうな”正解”に近いものを描いてくるだけで、それではほとんど意味がない。『

イノベーション実行人材の2タイプ:「実験家」と「遂行家」

イノベーション人材には「構想人材」と「実行人材」の2種類があり(『 イノベーション人材の2タイプ:「構想人材」と「実行人材」 』参照)、後者の実行人材には「イノベーション実験家」と「イノベーション遂行家」の2種類がある。 「実験家」の話の前に、上記の別記事で書いたが、イノベーション実行人材とは、「単純化して言えば、構想人材が考えた構想に対して、「それ、面白いかもしれない!」と思い、その実現のために自分でも工夫をしながら前進させていく人である。」 イノベーション人材というと、主に私達がイノベーション構想人材と呼んでいる人材のことを指すことが多いが、イノベーション実行人材もとても重要である。 また、イノベーション人材というと、研究開発に携わっている人のことを指すことも多いが、彼ら彼女らも大変重要だが、重要なのはそうした人材だけではない。ありとあらゆる職種でイノベーションは関係し得る。 例えば、イノベーション創出を目指して新商品を開発したとする。そのためにイノベーション人材を集めて開発したとする。しかし、その後工程で、製造方法や販売の方法、マーケティング戦略や知財戦略でもイノベーション創出のための協力がなければ難しい。後工程の人たちはイノベーション人材ではなくてもいいのだろうか。そこが「イノベーション実行人材」に私達が込めている主張である。その例で言えば、例えば営業担当者が、その商品を「面白い」と思い、「これはチャンスがあるぞ」と感じ、「こういうタイプの顧客にこういう訴求方法で紹介してみよう」という工夫は、イノベーション創出プロセスの一部であることは間違いない。 イノベーション実験家 上記の例のような「イノベーションの構想を実現するために、こういうことを試してみよう」と思い立って実行する人が「イノベーション実験家」である。 繰り返しになる部分もあるが、研究開発部門の技術者は往々にしてここである。必ずしも構想家ではないかもしれない。 もっと言えば、日本企業におけるイノベーションの試みは、「イノベーション構想」がないことがしばしば(おそらくほとんど)である。典型的なのは、研究開発部門に新技術のシーズから目新しい商品を開発させることだ。そこにはイノベーション構想がない。イノベーション構想とは、既存市場の一要素を上位概念化し(≒そもそも論で疑い)、「こうした方が遥かに良いものがで

「やりたい仕事」の罠

10代から20代ぐらいの人たちから、こういう声をよく聞く。「将来やりたい仕事が見つからない。」 私はそれはごく自然なことだと思う。なくて当然だと思う。その上、むしろ、「やりたい仕事がある」ことは素晴らしいことなのだが、少し注意した方がいい。 世の中全般的に、「やりたい仕事」を早くに見つけ、そのために勉強するなりスキルを習得するなりすることが、ある種の美徳とされているように感じられるが、これは矛盾を孕んでいる。 仕事では、お金を稼ぐこととは切っても切り離せない。それを目的にするかどうかは別にしても、お金を稼ぐことは最低の条件とも言える。もちろん、お金を稼がない仕事というのもあるし、それもれっきとした仕事だが、その仕事以外の何らかの”源流”からお金が流れてきているからそれができることがほとんどだろう。 お金を稼ぐなら、あるいは仕事をしていくなら、自分自身のマーケティングが必要である。マーケティングとは、顧客のニーズを捉えて、ニーズを少しでも超えて価値を提供(しようと)することだ。 私はよく「プロダクトアウト」と「マーケットイン」という言葉を引き合いに出すが、プロダクトアウトとは、商品の良さを押し出すことでそれを売ろうとすることで、マーケットインとは市場(顧客)が求めるものを用意して売ろうということだ。完全なプロダクトアウトだと商品は逆に売れにくいのだが、「やりたい仕事」とはプロダクトアウト性が強い考え方だ。 仕事においては、プロダクトアウト的な部分ももちろん必要だが、基本はマーケットインだ。当たり前の話だ。何かを頼まれて、それを完遂するのが仕事だからだ。自分がやりたいことをやって、それを「すごいでしょ?」と見せることで完了する仕事というのは非常に少ない。 「やりたい仕事」の影に隠れた矛盾がそこにある。仕事というものは頼まれたことをやることが基本だ。あるいは、何らかの必要性がある事柄について、自分から「じゃあ、それ、私やりますよ。」と言い出してやることが基本だ。ついでにマーケティングの考え方を入れれば、その上に「ニーズを超えた価値」をおまけで付けてあげてインパクトまで与えられたら最高である。 交渉術をご存知の方ならお分かりだろうと思うが、交渉において、本当にほしいものややりたいことはできるだけ出さない方がいい、という原則がある。なぜなら、それが弱味になるからだ。仕事を頼み

測定しにくいイノベーション能力、「人望/愛されキャラ」

当社では、 イノベーション人材に求められる能力的な要件 を用意している。これは、よくある社内のコンピテンシーとは扱い方が根本的に異なる。全ての要件が一定水準なくてはならないかというと、そういうわけでもない。あればあるほど素晴らしいが、一点集中突破型でもいい。 反省を込めて言うのだが、アセスメント結果を本人にフィードバックする時、本人の中で相対的に強みとして出てきた能力を褒めた上で、相対的な弱みを伸ばすことを促している。時々、「強みをもっと伸ばすという考え方をするのは良くないのか?」と訊かれるが、コンピテンシーの場合、足を引っ張るような弱みを解決する方が先決かもしれない。しかし、少なくともイノベーション人材の能力要件については、強みを伸ばす方向でもいいかもしれない。 その中で、イノベーション創出プロセスの中でとても重要な能力だが、非常に定義しにくいし、自分でコントロールして強化しようなどとするのが難しいために、当社の能力要件に入れていないものもある。その一例が「人望」と言ってもいいものである。 「あの人は人望がある」などという言い方をよく聞くが、一応、辞書で定義を調べると、だいたい、人望とは「大勢の人たちから尊敬されている状態」のことである。つまり、結果論なのである。尊敬を得るに至った過程で発揮した能力については何も示唆していない。 似たものとして「愛されキャラ」という日本語もある。「尊敬」とは少し違うのかもしれないが、「大勢の人たちから愛される性格(の持ち主)」というような意味だろう。これも結果論である。結果論だと、しかもそれが性格の話だと、自分では向上させるのが難しくなってくる。 イノベーション創出に大きく貢献した人達、特にリーダーシップを取った人達を見てみると、「人望」や「愛されキャラ」とでも呼ぶべきものをある程度共通して持っている。 この理由はある程度理解しやすい。イノベーション創出プロセスでは、従来ないことを創り出そうとしているため、そのモチベーションを継続させる拠り所が少なくなる。あるいは、イノベーションの種のようなものが、往々にして「無理難題」であることが多く、それでも「あなたの言うことなら協力してあげるか…」と思ってもらえるかどうかは確かに大きな要素である。 また、「人望」や「愛されキャラ」の難しさの1つは、それが性別あるいはジェンダーとある程度深く関