色々な人にインタビュー(・アセスメント)をしていると、多くのリーダーが「~という風にメンバー全員の『意識』を変える必要がある」ということを言う。そして、得てして、それは結構難しい。
『意識』という概念が簡単に使われるが、人間の心理には意識と無意識があり、意識というのは水上に出た氷山の一角のようなもので、無意識の領域はそれよりも遥かに広いとされている。
常に極めてロジカルで合理的な判断に基づくガチガチの人でも、自身の無意識に、暗黙のうちに大いに影響を受けることがある。その最も影響が大きいものの一つは組織文化であると言える。
組織文化とは何か。別の記事に書いたのだが、それをそのまま書くと、
組織文化とは、エドガー・シャイン氏の定義に基づいて言えば、「メンバー個々が持ち、組織として共有している暗黙の前提」のことである。組織文化は、人が2人以上集まって特定の目的を果たそうとする場合に、必ず持つものと心理学では認識されている。それは何のためにあるかと言うと、「組織」という幻想を共有し、それを同じ形で持続するためであると考えられる。ある意味、動物には必ずある「種族保存本能」の代替機能であると言えるのかもしれない。転職して全く異なる組織文化を持った会社に移ったことのある方なら、おそらく容易に理解していただけるのではないかと思う。
繰り返すが、組織文化は多かれ少なかれ「組織が同じ形で持続するためにある」ものなので、多かれ少なかれ変化を嫌う。だからこそ、変革には抵抗が付き物、ということになる。特に、上位下達の性格が強い組織文化では、意思決定者層から強い抵抗が見られることも多い。「上位下達の性格が強い組織文化」を持つ組織の典型は、軍隊、警察、病院、鉄道などである。彼ら彼女らにとって、上位下達はとても重要なことである。それがスピードと対応すべきことの確実性を担保してくれるからである。
さて、ここでのテーマは組織文化の変革だが、上記の通り、組織文化は原則的に変化を嫌うもので、それは元々「組織が同じ形で持続するためにある」ものだからである。したがって、組織の中でどれだけ絶大なる権力を持っている人でも、組織文化を変えるのはその性質上とても難しいのである。
目に見える範囲の現象で言えば、「~という風にあなたの意識を変えてほしい。」「はい、わかりました。」という会話をしながら、結局何も変わらないことが多いのはこのためであることも多い。(もちろん、それだけではないだろうが。)
しかし、組織文化は同じ組織が続く限りずっと不変かというと、そういうわけでもない。時代を超えて変わっていく。あなたがよく知っている会社も、おそらく50年前と今とでは、だいぶ違う”暗黙の前提”を社員が持っているケースも多いだろう。
あなたがリーダーとして、その組織の文化を変えたいとしたら、どうしたら変えられるのか。意図して変えるのは難しいのだが、結果的に組織文化が変化した歴史を見ていくと分かってくる。ある共通項がある。それは「危機的状況」である。
これは合理的な説明が付く。組織文化は元々「組織が同じ形で持続するためにある」ものなので、組織が存続できない要因があると、持続できるような形に変わろうとする。つまり、基本的には変化を嫌うのだが、変化を嫌い過ぎて組織が存続できないなら変化する方がマシなのである。
したがって、組織文化的な変革を意図的にしようとするリーダーが非常によくやるのは、「危機を煽る」ことである。現時点では危機的状況にはないかもしれない。しかしながら、見えていないだけで危機を招く火種は既に存在していて、くすぶっている。そして今後、近い将来起きると誰もが思っているような環境変化が起きるとその火種はどうなるか。大変な危機的状況を招いてしまう。これは会社を潰しかねない規模の危機だ。それを示す証拠としてこんな数値が既にこんな風に変化を始めている。などという風に。
スポーツが嫌いな人には申し訳ないが、スポーツで言えば、いわゆる名将といわれる人たちの行動で多いことに、1つの試合に勝っても大して喜ばないことが挙げられる。むしろ「勝ったからって全く満足できない。こんな問題があった。」などと叱咤する人もいる。
組織が、自分達が今やっていることとそのやり方で成果が出ている時、その成功体験によって少しずつ自信を深めていく。その蓄積を通じて組織文化は固まり、安定していく。安定的な組織文化はメンバーに安心感を与える。居心地もいい。
しかし、危機に瀕して不安定になっていると、非常に居心地は悪い。上記のようなリーダーが意図的に作る(疑似的)危機的状況は、本物の危機的状況ももちろんだが、メンバーにとってはしんどい。もっと良い方法をさらに模索しなければならないからだ。会社の経営や組織運営では、これをやり過ぎると離職率が高くなるかもしれない。あるいは、モチベーションを著しく下げてしまうか、その両方か。それと、煽り過ぎはメンバーに焦りの気持ちを植え付ける可能性がある。
したがって、危機をメンバーの感情に訴えかけるのではなく、理性に訴えかける必要がある。何に関しても、偏り過ぎは良くないということは言える。
それと、言行一致は言うまでもなく不可欠である。つまり、『イノベーション人材を考えるなら、まず自分がイノベティブであれ』でも似たようなことを書いたが、意識の変化を他人に求めるなら、自分から意識を変化させていることを示す必要がある。
宮田 丈裕 (当社代表)
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