イノベーション創出のためのマネジメントと、効率的作業組織の維持とそれによる問題解決のためのマネジメントはまるで違う部分がある。シンプルに言えば、前者では、余裕と切迫のバランスを、余裕重視にした方が適しているが、後者では切迫重視にする方が適していると言える。
別の記事『イノベーションの試みのうち8割がこの「失敗パターン」にはまる~①』シリーズでは、4回目に『イノベーション失敗パターン④:【効率的作業組織 vs イノベーション創出組織】』という記事があり、その2つのタイプの組織の違いについての詳細はご参考にしていただきたいが、チームマネジメントのやり方としては余裕と切迫の振り子が重要で、効率的作業組織なら「普段は切迫、時々余裕」なのかもしれないが、イノベーション創出組織なら「余裕中心、ところどころで切迫に振る」というイメージだ。
余裕重視マネジメントでの切迫とは、例えば、時々「この挑戦で5年後の営業利益10億を目指してるんだったよね?忘れてない?」とリマインドするようなことであり、切迫重視マネジメントでの余裕とは、昔で言えば、時々「ノミュニケーション」でガス抜きをするようなことが一例である。
ただし、現実には、「あなたのチームはイノベーション創出組織、あちらのチームは効率的作業組織」などと明確に分けられていないことの方が圧倒的に多い。効率的作業組織が、その業務の傍らでイノベーション創出を求められていることの方が多いのではないか。
切迫中心のマネジメントとは、極端に言えば、イソップ寓話「北風と太陽」の北風のマネジメントとも言えるかもしれない。
私は他の記事でも何度もこのことを書いているので繰り返し読んだ方には申し訳ないが、この点が気になっている。というのは、近年の日本企業の全体的な傾向として、イノベーションを追求しようという企業は多く見えるものの、切迫中心から余裕中心になりつつあるかというと、むしろその逆だからである。
というのも、1990年代の国内外の経済危機、2008年以降のリーマンショックと、その前後にあったコンプライアンス/ガバナンス重視などを背景に、切迫重視は徐々に強化されてきている。何かネガティブな大事件をきっかけに「社内の統制をより厳しくする」という打ち手は心理的には理解できるが、その弊害も大きいと言える。
もう1つ、大きかったのではないかと私が考えるのは、2000年前後に流行した持ち合い解消である。同時期に金融商品取引法が施行されるなど、多くの日本企業のオーナーシップの流動化が進んだ。私は1996年に海外でMBAを取ったが、その経営戦略のクラスでは、教授は日本企業の強さの要因の1つとして、持ち合いによる株主の長期視点を挙げていた。その頃までは、確かに、日本企業と欧米企業(ドイツやスイスなどの企業はまた少し違うように見えるので、特にアングロ・アメリカン企業)には大きな差があったようだが、その後の金融危機などで大きく変化し、投資家の中心は国内の系列企業から海外のファンドマネジャーになり、さらにはその後に流行した「キャッシュフロー経営」やリストラクチャリングやインベスター・リレーションズ(IR)重視傾向で切迫マネジメントが大きく進行したのではないかというのが私の仮説である。
そこが大きかったために、一つの影響の現象として、切迫マネジメントがかなり強化された企業が多かったものの、さらにその結果だと考えられるが、粉飾決算や情報偽装などの不正事件が起きたために、切迫マネジメントの”揺り戻し”としてコンプラやガバナンスへの傾倒があったとも言えるが、切迫マネジメントを戻すわけではなく、さらに強化してしまった、という風にも考えられる。
ついでに言えば、2010年代後半に盛んに叫ばれ始めた「健康経営」も「持続可能性」も「SDGs」も、経営のバズワードというものはなぜこうも表面的なのだろうか。切迫マネジメントが強化され過ぎていること(もちろん、それだけではないが)が原因の一つになっているのに、切迫マネジメントを強化しようとする。健康管理を強化したり、持続可能性も具体的な目標値を設定して管理を強化したり、と。
いずれにしても、要するに、株主の短期志向化が長年に渡って進み、日本企業は切迫マネジメントの色を強くしてしまった。
経営を取り巻く社会の状況を見ても、非常に多くの人が重たいストレスを抱え、重箱の隅をつつくような発言やネット上での誹謗中傷も、メンタルヘルスに問題を抱えた人も、ここ数十年間で増えたことは間違いない。それが切迫マネジメント強化と完全に無関係だとはとても思えない。
2010年代には、多くの企業が公表している中期経営計画などで「イノベーション」を謳われているのも、切迫マネジメントによって出ている副作用を打破するためと捉えることもできる。しかし、もし、イノベーションが必要だからと言って、また切迫マネジメントを強化する企業が増えているのだとすれば、小さな実現イノベーションはちょこまか生まれるかもしれないが、構想イノベーションは突然変異的な企業や個人からでないと、相当生まれにくいと思われる。(構想イノベーションと実現イノベーションについては、『イノベーション失敗パターン②:【イノベーションの目的のジレンマ】』を参照していただきたい。)
『離職率の高さとイノベーションの意外な関係性』という記事で紹介している事例は、もしかしたら切迫マネジメントがイノベーションを阻む象徴的な事例なのかもしれない。
この事例は、経営層が細かいことまで口を出し過ぎている可能性を指摘しているが、もしそうだとすると、それはイノベーション創出の大きな阻害要因になる。イノベーションというものは、そのものの性質だから仕方ないのだが、従来、誰もやったことがないことを試行錯誤していくプロセスが必要不可欠であり、計画ができない。計画を作ったとしてもその通りにならない度合いが激しい。それでも計画策定と実績管理、計画見直しを強制すると、形骸化する確率は非常に高い。つまり、社会人として当たり前とされている「PDCA」すら意味が薄いことになる。
経営層がイノベーション創出のためのチームに対してすべきことは、「金は出すが、口は出さない」ことに尽きる。これができる経営者が今、日本にどれくらいいるのだろうか。
今の経営者の中心層はバブル世代になってきているのではないだろうか。私は大学生の時、心理学を学んでいて、私は1991年に4年制大学を卒業しているのだが、同じくらいの世代の消費やライフスタイルの傾向を分析するような研究もしたことがある。その時の結論だけ言うと、バブル世代は、お気楽で享楽的、つまり「今が楽しければそれでいい」という傾向が、おそらく他世代よりも強い。もう30年ぐらい経っているわけだからもう変わっていると思うし、経営者になるほどの人ならお気楽で享楽的ではない人の方が多いかもしれない。しかし、むしろそのお気楽さと享楽志向で、余裕マネジメントの部分も作ってもらえないだろうか、と冗談抜きで思う。
私達がイノベーション人材・組織を作っていくお手伝いをさせていただきたいのは、余裕マネジメントの重要性を理解できる方々だ。じゃないとほとんど不可能だからだ。ぜひそういう方々には、別に当社を使おうと使うまいと、そんなことはどっちでもいいので、余裕マネジメントによる成功事例をどんどん作っていっていただきたい。そうすることで切迫マネジャーの方々に考える余地を提供していただきたいと思っている。イノベーションも切迫で生み出させようとする経営の会社のための仕事は、正直、あまり気が進まないし、興味も沸かない。
宮田 丈裕 (当社代表)
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