世の中には、人をタイプ分けするような試みがある。それがアセスメントのような形で提供されているケースもあるようである。
タイプを先に見せられると、「自分がどれに当てはまるのか?」ということが気になってくる。そして、往々にして、自分が感じること、考えること、行動することを自分で選択するような質問に答える。そうすると「あなたはこのタイプ」と出てくる。
「当たってる!」などという反応。当たり前である。自分で「自分は自分をこう理解している」と思いたい姿について答えているのだから、当たっていると思わなければ、その姿が間違っていることになってしまうのだから。
いわゆる心理テストと似た作りだが、よくある誤解は、心理テストが心理学に基づいている、ということである。そうとは限らない。心理学、あるいはどんなものであれ科学に基づいていれば完璧に正しいかと言えばそんなこともあり得ないが、いずれにしても、自分のことを自分で答えるという方法論は、そもそも、心理学用語で言う「セルフイメージ」と矛盾している。
セルフイメージとは、先に書いた”姿”のことだ。それは得てして、自分が自分がこうだと思いたい姿である。これは実際の言動とはかなりずれることもある。というか、普通は大いにずれる。要するに、自分のことは自分が一番分かっていない、ということである。
まず、自分で自分のことを答えるということが、セルフイメージに孕む主観性を取り除けない、という点がある。
さらに重要なのは、タイプ分けの多くは人の”性格”的な特性を分類していて、それによって仕事上の適性を説明しているが、専門職の適性ならまだ分からないでもないが、リーダーシップのタイプ分けまでしているものを見かける。
専門職であれ、リーダーシップであれ、そのタイプが分かったところでその通りに会社が配置してくれるのだろうか。もし配置されたとしても、その性格に合った状況だけが訪れてくれるのだろうか。リーダーであれば、あるいはプロであれば、自分の性格がどうだから…ということに関係なく、その状況には対応していかなければならない。
市場シェア1位の自社商品をメインに売っている営業部門のマネジャーが、後発の強力な競合が登場してシェアが見る見る減っていき、明らかに競合の商品性が高い時にどうするのだろうか。「すみません、私の性格と合わない状況になったので異動お願いしまーす」などと言い出すのだろうか。
いや、そう思うのは人の勝手だし、言い出すのも必ずしも悪いことではないかもしれないが、それが実現する確率は十分以上に高いのだろうか。
私が言いたいのはこういうことだ。タイプ分けして、その通りの仕事に就いたところで、あらゆる問題にぶつかる。そこで必死に解決しようと自分で考えて実行するからこそ成長がある。
相撲で例えるなら、体が大きくて力が強いからと言って相撲をやったら、しばらくするとまったく勝てなくなり、そこで辞めてしまうのか、それともそこから技術や戦術や体の使い方などを学んでいって勝てるようになるのか、というようなものだ。
すると、こんな風な反論があるかもしれない。「そうだとしても、自分のタイプによって基本的に適しているかどうかはわかるし、それをきっかけに成長していければいいのではないか。」
その反論もわかる。「自分がやりたいことが何なのかが分からない」という人も多い中で、その指南役になってあげよう、と。
しかしながら、困難があった時、自分で選択した場合と、タイプ分けに言われたことを選択した場合とで、そこでの本人の対応は同じだろうか。人に言われたことを選択した方が、人間は文句を言い出す確率が高い。同じ問題状況が起こっても、前者の方が後者よりもストレスを感じにくい。
ストレスとは、ストレスのきっかけとなる人や物事がストレスの主要な原因なのではなく、自分がそれをストレスだと感じやすいのかどうかが主要な原因である。
それに、「自分がやりたいことが分からない」という状態は、私はごく自然なことだと思う。無理に見つけることでもないと思う。その点についての詳細は『「やりたい仕事」の罠』を見ていただければと思う。
タイプ分けに意味がない、とまでは言わないが、使う側はそれに頼り過ぎていてはデメリットが大きい、と私は思う。セルフイメージは自分が思いたい自分の姿だと書いたが、逆も然りで、自分には自分では分からない可能性もあるものである。5年前、あるいは10年前の自分と、今の自分では、当時は「ここまでできるとは思ってもいなかった」という人も多いと思う。5年後や10年後も同様なのである。
宮田 丈裕 (当社代表)
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