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イノベーション人材の2タイプ:「構想人材」と「実行人材」


イノベーション人材のタイプには、大きく分けると2種類がある。
  • イノベーション構想人材
  • イノベーション実行人材

これらは、当社が音頭を取って開催したイノベーション研究会「FURICO」が出した結論の1つである。





「イノベーション人材」という言葉は今でこそよく聞かれるようになったが、多くの場合、構想人材を指しているように見える。つまり、何らかの革新的な事業や商品の開発を発想し、計画するような人である。これについては、別の記事で、もう少し細分化して説明したいと思う。

イノベーションの創出において、実行人材も同様に重要である。構想人材が自分の構想を、自ら実行することはよくある。しかし、それだけだと難しいというケースは極めて多い。したがって、実行人材を巻き込むことが肝となるケースが多い。

イノベーション実行人材とは、単純化して言えば、構想人材が考えた構想に対して、「それ、面白いかもしれない!」と思い、その実現のために自分でも工夫をしながら前進させていく人である。

そのためには「我事化」や「知的好奇心」が大変重要である。こうしたものを持っていて、それによって自分を”点火”できれば、その他の能力は「あればあるほどいい」という位置付けである。こうしたイノベーション実行人材は意外に多くない。構想人材も極めて少ないが、実行人材も少ないのが現状のように見受けられる。

当社の推計だが、イノベーション構想人材は日本の全労働人口の0.05~0.1%程度、実行人材は1~5%程度しかいない。その他はどういう人か。与えられた仕事を真面目にこなし、自分の”個人的”で”勝手な”好奇心から動いたりせず、我慢強く正確に仕事をやり続ける人たちがその中心である。この人たちは「効率的作業組織」においては大事だが、「イノベーション創出組織」においての優先順位は下がる。

つまり、日本は全体的に言えば、「効率的作業組織」でハイパフォーマンスを発揮する人たちを育ててきた。今もそれは変わらない。それが悪いわけでもないが、それは「イノベーション創出組織」でのハイパフォーマーの姿とはかなり違い、そういう人たちを育ててきていない。もっと正確に言えば、そういう人たちが育つ環境を用意していないケースが多い。

私は、先ほどのパーセンテージが合っていると仮定すれば、0.05%を0.5%に、1%が5%に変えられたら、日本の各種産業は(もちろん、全部ではないにせよ)圧倒的な国際競争力を持つだろうと推察する。

ちなみに、当社は日本においてイノベーション創出が課題だと信じてこういうことをしているが、別に日本に限定しているわけではない。日本はむしろ多くの外国人からはイノベーション創出が得意だと思われている。

私はそれも正しいと思う。ただし、正確に言うなら、「イノベーション創出が得意だった」のである。個人として、第2次世界大戦や戦争直後を直接経験して、その後の混乱の中で生き延びるために、そしてその中でも社会をより良くしようと本気で思い、その手段には自由度が高かった環境にあった時代の人には、構想人材が多くいた。数多くの素晴らしい起業家が現れ、現在の大企業にはそこから拡大してきた企業も多い。

しかし、生活水準が既に高い時代に育ち、生活に困ることもなく、自分で狭めているケースも多いとはいえ、色々と制約も多い環境で育った人たちの中から生まれる構想人材の比率は、昔と違っていて当たり前である。ひょっとすると1950年代などは、イノベーション実行人材は労働人口の半分ぐらいいたのではないかとも思える。そう考えると、凄まじい時代だったとも言える。

イノベーションの失敗事例で多いのは、実行人材に構想まで期待するケース、あるいは構想なしで実行人材に任せようというケースである。これは研究開発部門にイノベーションを託している企業に多い。これは断言できるが、イノベーションとは、研究開発部門だけでやるものではない。これは「イノベーション=技術革新」という誤解から来るものである。


では、イノベーション構想人材や実行人材がどういうところにいるのか、いるべきなのか、といった点も、別の記事で書こうと思う。(『イノベーション人材が育つ環境は「辺境」』)




宮田 丈裕 (当社代表)




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