スキップしてメイン コンテンツに移動

あなた自身と部下の成長のために① ~成長できる人の2つの条件


人間は誰でも勝手に成長するものではない。もちろん、それはキャリアにおいての成長の話だが、むしろ非常に多くの人が、成長を望んでいないような行動を取ることは、『人間の「非」成長性と適材「不」適所』でも書いた。簡単に言えば、口では「成長したい」と言う人の驚くほど多くが、実は「既に持っている能力を使ってより大きな成果を出したい、認められたい」ということを意味していて、それは再現性の高い行動変容を含んでいないのだ。

あるいは、学校に行って、あるいは独学で、場合によっては資格を取るために勉強することが成長だと暗に思っている方もいらっしゃるが、必ずしもそうとは限らない。なぜかというと、知識を増やすことは行動変容とイコールではないからだ。

ではどういう人が成長できるのか。タイトルの通り、2つの条件があると考えられる。もちろん、もっと挙げようと思えばたくさん挙げられるが、つまづきやすいのがこの2つである。




条件1:意外に難しい「成長意欲」


1つは、当たり前なのだが、「成長意欲」である。成長意欲と言っているのは、ここが当たり前でない点なのだが、本人が行動変容の必要性を感じていることである。上記の通り、そういう人は実は多くない。

こういう風な言い方もできる。人間は、通常の状態であれば、上記のように「より大きな成果を出したい、認められたい」し、その前提としては自分が既に持っているものを使いたいものだが、「自分はダメだ」、「このままではやっていけない」などと感じているような、ある程度非常事態になった時にその必要性が出てくる。

デイヴィッド・コルブ氏の経験学習モデル("Experiential Learning Theory")というものがあるが、それに当てはめると分かりやすい。経験学習モデルを簡単に紹介すると、人は経験を通して成長することができる。それには4つのプロセスを経ていることが必要で、それは具体的な経験、省察、概念化、実践的試行であり、それは循環する。つまり、何かを経験して、それを振り返り、「こういう時にはこうするといいんだな」とか「こうした方がうまくいくんだな」などと理解し、それを別の機会で試し、そしてまた新たな経験に戻る。

このうち、うまくいかない経験の後、それを省察することによって生まれるのが成長意欲である。つまり本人が行動変容の必要性を感じている状態である。特に人は忙しくなると、省察は抜け落ちる。実践的試行も少なくなる。そうすると経験と概念化だけになるので、要するに仕事も忙しい中で、勉強したり新たな知識を得ているような状況だが、この2つが結び付かないようなケースである。そうすると人は成長しない。

私が他の記事でも書いていることを繰り返して恐縮だが(『「人を育てようとすること」の大きな落とし穴』)、人を育てようとしている人の多くが、本人のこの成長意欲を見ていない。教えれば行動変容するものだと勝手に前提にしてしまっていることが多い。中には、自分の話を聞かないことに怒りだしたりする人までいる。学校などのスポーツ指導でコーチがやたらと威圧的に生徒や学生に当たるのを何度も見聞きしたことがあるが、それはこれを象徴する例だろう。

人が成長するということは非常事態なのである。だから「人間は誰でも勝手に成長するものではない」のである。成長というのは、「望ましいとされる行動が取れるようになること」だが、ということはつまり、その時点での自分は「望ましくない行動しか取れないと分かっている」ということになる。成長という概念の定義から、「その必要性を感じている」ことがうっすらと含まれているのである。

非常事態だからこそ苦しいし、だからこそ誰もそのような状態が常にあることを望まない。望ましいとされる行動が取れて「やったー!嬉しい!」というゴール地点が待っているはずだと思えるからなんとか成長プロセスを踏めるようなものである。


条件2:自己客観視


もう1つの成長の条件とは、先ほどの省察と関係するが、「自己客観視」である。つまり自分を客観的に捉えることだが、これも誰でも自動的にできることではない。自分を捉えることは基本的には主観でしかできないからだ。

それよりもさらに大きな問題がある。「自己客観視したくない」問題である。無意識であることも多いと思うが、自分自身を客観的に見ることには誰にだって怖さがある。すごくダメなところが見えてしまうことを怖れるからである。見た目にコンプレックスがある人が鏡を見ることを怖がるのは不自然なことではない。1つめの成長意欲と同様、誰にとっても簡単なように見えて、実は苦しいことである。

しかし、たまにこういう方がいる。自分が何かをした後、一部始終を見ていた他人に「自分はどうだった?」と訊く。あるいは、私がインタビュー・アセスメントの面接者をした時にも、ほんの数%の人だが、「ぜひフィードバックをもらえませんか」とおっしゃる人達。このように、目撃者に自分がどうだったかを尋ねることは自己客観視の有効な方法である。

また、振り返りの対話もいい。相手が目撃者でなくても、起こったこと、そこで自分がやったことを細かく話していくのを相手に聞いてもらう。「なぜそういう風にしたのですか?」、「なぜこういう風にはしなかったのですか?」など、素朴な疑問や、「おや?」と思う点を質問してもらうといい。私がインタビュー・アセスメントをしている時にも時々いるが、喋っているうちに自分で気付くことがある。後から「喋っていて気付いたのですが、私はここが弱かったですね。」などと。こういうことも優れた自己客観視である。

自分一人でやるなら、将棋などの「感想戦」に近いものをやるといい。感想戦とは、将棋などの試合の後に、最初から全ての手を再現し、その試合の振り返りを行うことである。何かに文章として書いていくといいだろう。その時に注意したいのは、まずは事実を中心に押さえることである。つまり自分の言動である。他人から見て、自分は何をしたのか、何を言ったのか。できるだけ忠実に再現するといい。挙げた事実に対して、どういう意図があったのか、どういう気持ちだったのか、なども付け加えるといいだろう。その際には「STAR」という方法論を知っておくと便利だが、それは別の機会に書こうと思う。もちろん、録音や録画ができる機会があれば自分で録っておいてそれに基づいて感想戦をするのもさらにいいかもしれない。

自己客観視をしたいのだけれども、自分を客観視することに怖さを感じる方には、ぜひこのことを理解していただきたいと思う。心理学では、自分が自分をどう見ているかという像を「セルフイメージ」と呼んでいるが、セルフイメージは客観的に見た時の自分とは多かれ少なかれずれるものである。それが普通だ。それがなぜ起こるかというと、「自分はこうだと思いたい」という欲求があるからである。「思いたいように思いたい」のである。誇大妄想的なセルフイメージもあれば、明らかに過小評価の(良く言えば謙虚な)セルフイメージもあるが、どちらも同じで、自分が思いたいように思っている結果である。

だが、どう思いたいと思っていようとも、他人からはそう見えているとは限らない。他人から見た自分が真の自分である。自分から見た自分が真の自分ではない。どっちにしろ、他人からは自分の真の姿はもう既に見えている。自分の声を録音したものを聞くのと同じで、初めは過剰に反応してしまうが、そのズレも含めて慣れてくるものだ。



あなたが育てる側の立場にいるなら、この2つの条件をよく見て、それを高めるチャンスを提供することが大事だ。成長意欲が低い人には、少し難しいミッションを与えて壁にぶつけてあげることだ。育てる側の立場にいるぐらいだから、おそらく「彼・彼女にこれをやってもらったら、ここで壁にぶつかるだろう」という想定ができるはずだ。最悪の事態にはどう介入して対処するかだけは用意しておいて、壁にぶつけさせるといい。また、自己客観視が弱い人(≒主観が強い人)には、先ほどの対話相手や感想戦の相手をやってあげるのもいいだろう。


人生は成長の旅


ここまで読んでいただくと、成長するということが意外にもハードルが高く、努力と時間を要求するもので、一種の能力であることがお分かりいただけたかもしれない。人は、まず成長を望んでおらず、そして望んだとしても決して簡単ではないものだ。

それでも申し上げたいのは、簡単ではないから喜びも大きいということだ。簡単にできる”なんちゃって成長”ではなく、大きな成長…もし自分がスマートフォンだったら、写真やアプリを追加するような成長ではなく、OSを変えてしまうような成長を、これを読んでいただいた方にはぜひしていただきたいと心から思っている。

ついでにもう一つ申し上げたいのだが、年齢によって成長できなくなるということは一切ない。その根拠はシンプルで、成長とは行動変容だからだ。体が大きくなることだけではないからだ。高齢になると成長できないと信じて止まない方は、そうやって諦めているから成長しないか、成長したくないからそう信じたいのかのどちらかだろう。もちろん、行動変容のスピードは同じ人でも年齢によって差があるかもしれないが、人間は何歳になっても成長できることは付け加えておきたい。

(続く)


宮田 丈裕 (当社代表)




※この記事は、引用・リンクは自由にしていただけます。
ただし、当社の会社名、記事の著者名を引用していただくことと、
どのようなサイトなどのメディアで取り上げるかを
当サイトの「お問い合わせ」から当記事タイトルと共にご一報いただくことを
条件とさせていただいております。






このブログの人気の投稿

経営の中でも最高難度:「イノベーション事業家」

イノベーション人材には「構想人材」と「実行人材」の2種類があり、前者の構想人材には「イノベーション・プロデューサー」と「イノベーション事業家」の2種類がある。 (参考記事『 イノベーション人材の2タイプ:「構想人材」と「実行人材」 』 『 イノベーション創出の最重要人物:「イノベーション・プロデューサー」 』) イノベーション事業家 ビジネスとして持続可能な、あるいは発展可能な状態を構想し、実現をリードする役割がイノベーション事業家である。現実には、プロデューサーと事業家を同一人物が兼ねているケースも多いと思われる。 これは、例えばグループ会社の経営を経験した人ならできるかと言えば、必ずしもできるとは限らない。じゃあ親会社の経営経験者ならできるかと言えば、それも必ずしもできるとは言えない。イノベーション事業家に求められる能力は、一般的な会社経営者や事業経営者に求められる能力とはまた別物である。 その違いの中で大きいと考えられるのは、リスクに対する姿勢である。一般的経営者はリスクを把握した上で、それを取るか取らないかを判断する。イノベーション事業家は、もちろんそういうケースもあるが、それに加えて、自分でリスクを軽減することが求められる。元々が高リスクのステージなので、そういう行為が重要な意味を持つ。 また、高いリスクを取りたがる人はイノベーション事業家には向いていない。 ただし、こうした話は一般論であり、例外はたくさんあるので一概にそうでなければならない、という言い方はできない。 いずれにしても言えるのは、イノベーション事業家がすべきことは経営の中でもかなり難しいことであり、自分独自の事業創造の方法論を持っているということは言えるかもしれない。独自の方法論を持っているということは、自分の中で戦略・戦術に組み立て方を工夫・試行錯誤して考え、検証してきた経験知がある、ということだろう。 しかしながら付け加えなければならないのは、そんな試行錯誤と検証が、今の日本で許される環境というのが多くあるだろうか。もちろん、多少そんな余裕のある業界トップ企業もあるかもしれないが、そう多くはないかもしれない。いずれにしても、「余裕」がある状況がなければイノベーション人材、特に構想人材は育ちにくい。 また、大企業社員に時々いるが、もし自分が小規模企業の経営をしたら簡単にうまくいく、と考えて...

研修で人は育たない

研修で人が成長するかと言うと、まず無理だ。研修のファシリテーターをやっている私がそういうのもどうかとも思うが、真実だし、あまりにも世の中にそこを公言している人が少ないのであえて言いたい。 もちろん、全ての研修で、全員が成長することがあり得ない、と言っているわけではない。ただ、研修を企画された方々は往々にして、参加者全員が成長することを期待していらっしゃる。まず一旦、全員が研修で成長なんかできないと諦めた方がいいと私は考えている。そこから初めて、「じゃあ少しでも効果を出すためにどうするか?」「成長を促進するために、研修以外に何をしたらいいのか?」という視点が出てくる。 この視点が重要なのは、「研修をやれば社員の成長効果が出るはず」という日本企業(だけではないと思うが)にある伝統的な暗黙の前提が明らかに間違っていることが多いからだ。 その前提がどうやってできたかと言えば、明治時代以降に作られた会社において、あるいは第2次大戦後の日本企業において、海外との情報ギャップが大きく、海外にあって日本にない知を採り入れる場として確立されたと思われる。今、そんなギャップが大きく存在するだろうか。 また、そうした時代の日本では、第1次産業(農業・漁業など)から第2次産業、あるいは第3次産業に移ってきた従業者が多かったわけで、戦後の「集団就職」はその象徴である。その従業者たちの多くは高等教育を受けていなかったこともあり、内容は高等教育とは違うにせよ、知識教育は重要だったと言える。今、研修参加者で、そういう人がどれだけ存在するだろうか。 つまり、単純化して言えば、知に飢えた時代だった。学べる知は途方もないほど存在していて、それが飯を食っていくために必要不可欠な時代だった。そして、学べば学ぶほど、それが直接的な理由ではなかっただろうが、自分ができる仕事が増え、その質が上がり、給料は上がり、生活はみるみる良くなって安定し、社会全体も同様だった。という時代だった。 もうお分かりの通り、現代の日本は既に全然違う世の中である。先進国は多かれ少なかれ似た状況にある。私の実感値としては、中国人の参加者の多くには、そういう時代の日本がそうだったのだろうが、「ギラギラ」がある。 私があらゆる教育において最も重要だと思うのは、この「ギラギラ」や「飢えている」状態である。それが全く望めない状態で研修を実施する...

イノベーション創出の最重要人物:「イノベーション・プロデューサー」

別の記事で書いたが(『 「イノベーション人材の2タイプ:「構想人材」と「実行人材」 』)、大きく分ければイノベーション人材は2種類に分けられる。それがイノベーション構想人材と実行人材である。非常に単純化して言えば、構想人材は実行人材の能力の上に、構想力を持った人材である。実行人材には、従来にない構想に対して「面白い」と思って自分なりに考えて実行する能力が必要である。これも簡単に見えて実際には結構難しい。 この2タイプをより深く理解していただくためにも、それぞれを2タイプずつ、合計4タイプに分けたいと思う。 イノベーション構想人材 イノベーション・プロデューサー イノベーション事業家 イノベーション実行人材 イノベーション実験家 イノベーション遂行家 イノベーション・プロデューサー イノベーションをプロデュースする人が最上位にいるべきである。プロデューサーがいないとイノベーションの創出はなかなか難しい。イノベーションを掲げる企業にとっては最重要の人材だが、残念なことに、一般的に言われている「イノベーション人材」は、どうやらプロデューサーはあまり含んでいないように見える。 プロデューサーの役割を理解していただくためには、イノベーションも分類しておきたい。「構想イノベーション」と「実現イノベーション」の2種類である。構想イノベーションとは、それまでのゲームのルールや顧客のライフスタイルを変えたり、従来とは異なる視点で事業や商品を位置付けたものである。 実現イノベーションは、そこまでのことを狙わない。構想があればその実現のための革新であり、構想がなければ、従来のゲームのルールの延長線に乗った上で起こす小さな進歩である。例えば、外出時でも自宅のペットの様子が見えるアプリがあるが、これは実現イノベーションと考えられる。従来なかったものだが、従来の延長線上である。 日本企業が「イノベーションを起こそう」と提唱して、その結果出てきた事業や商品にはこの「実現イノベーション」が多い。ほとんどと言っていいかもしれない。ただし、そのうちの非常に多くのケースで、構想があるようには少なくとも見えない。 この構想の大元やきっかけを作るのがプロデューサーの役割である。その中でも重要なのが、「顧客の視点で『そもそもの問い』を投げかける」という行為である。『そもそもの問い』は、従来のサプライヤーが提供...