スキップしてメイン コンテンツに移動

テレワークによるストレス問題


テレワーク、あるいはリモートワークでコミュニケーション不足になることが指摘されている。そのためにコミュニケーションを”追加”するような取り組みもされていることも多いようだが、それは短期的には必要なことは言うまでもないが、中長期的にはもう少し根本的な部分の変化が必要になってくるだろう。

その話をするために、少々回り道をさせていただきたいと思う。





別の記事*にも書いたが、人間が集団を構成する時に「暗黙の前提」を共有する。それによって「組織の一員になれた」などと実感する。この暗黙の前提の集合を組織文化という。組織文化は組織に固有のものだが、日本に拠点のある組織(つまり日本企業だけでなく外資系企業も含む)はある程度共通して持っている「暗黙の前提」がこのテレワークのコミュニケーション不足問題と関連しているので、日本の文化といってもいいかもしれない。


ここで関係する暗黙の前提とは、「意思決定は、関係者の合意によってされる」という前提である。「そんなこと、当たり前じゃないか」と思われる方もいるかもしれないが、必ずしも当たり前ではないし、当たり前だと思うということは「暗黙の前提」になっている証拠でもある。

ボトムアップ文化の色合いが強い組織ほど、この傾向が強いと言えるかもしれない。ボトムアップ文化とは組織の末端、つまり、いわゆる「現場」が強い発言権を持つことだ。本社側からすれば、何か施策を打ち出す時にはやたらと現場に気を遣ったり、現場に浸透させるのがやたらと説得やら説明やら個別対応やらで難しかったり、時には現場の抵抗でとん挫してしまったり、役員会が部門代表の場だったり…そういう風な現象として現れる。

だからこそ、やたらと「根回し」や「調整」が必要だったりもする。これは残念ながら、1人あたり生産性にも悪影響を及ぼしていることは間違いないだろうし、非常に多くのケースで海外現地法人などから出る「本社は意思決定が遅い」という不満にも繋がっていることも間違いないと言っていい。

しかし、あなたの所属する組織が、例えばオーナー経営者が誰よりも大きな発言権を持つ企業だったりすると、意思決定は速いことの方が多い。そのことからしても、一般的なオーナー経営者が個人で責任を持って意思決定するような企業以外の組織は、意思決定が遅いとお分かりいただけるのではないかと思う。

では、例えば、比較対象として欧米の企業は違うのか。全然違う。欧米と一言で言っても日本で考えられているよりもずっと多様だが、それでも日本の組織の持つ意思決定の遅さは格別である。もちろん、それによって良い面もあるのだが、残念ながら今の時代(と言ってももう何十年も、だと思うが)においては、国際競争力の足を引っ張っている要因と言える。

なぜかと言えば、欧米型組織では、意思決定というものはリーダーの仕事であり、色々な情報や意見はインプットするにしても、判断と決断をするのは個人である。だから高い給料をもらい、責任も負っている。それがリーダーの役割だからだ。

日本の組織では、リーダーの役割は多かれ少なかれ違う。どちらかと言うと「意思決定のための調整役」である。その中でリーダー個人が自分の考えを押し出して意思決定をし続けていると、現場からリーダーへの不信感に繋がってしまう、ということは往々にして起こる。

したがって日本の組織におけるリーダーは、現場に足しげく通い、現場の声に耳を傾け、それを総合したような、現場の誰もが言ってほしいと思うことをできるだけ抽出して訴求することが大事なのである。(もちろん、こうしたことが外国組織のリーダーにも重要であることは多々あるが、その性質が非常に強い、ということである。)

決して、日本の組織文化が悪いと言っているのではない。これは1000年単位で培われた社会における文化と密接に関係しているので、良い面も悪い面も、良く出る局面も悪く出る局面もある。

そして、言語とも関係している。日本語のコミュニケーションでは、誰かがある言葉を発した時、そこに乗っている感情が占めるウェイトがとても重い。受け手はそれを一生懸命受け取ろうとする。外国語を理解する方にはお分かりいただけると思うが、こんなに感情のやりとりが乗っかっている言語は世界には他にそんなにたくさんは存在しない。

だからこそ、対面によるコミュニケーションが異常なほど重視される。話の文脈、表情などの非言語コミュニケーションもフルに使って感情のやりとりをしないと、理解したことにならないからだ。

そんなことを考えて「会って話をしよう」と計画する人はあまりいないかもしれないが、それが「暗黙の前提」なのである。当人達が、それが当たり前だと思っていることなのだ。

そろそろ回り道を終えて本題に戻るが、日本の組織文化では、関係者全員で意思決定することが重要で、そこでの言語のやりとりでは、感情を受け取ることが重要なので、方法としては対面が重視される。仕切りのない同じ場所で仕事を一緒にすることが重視される。されてきた。

テレワーク、リモートワークとは、この点に障害を引き起こしている可能性が高いのではないかと思う。感情を受け取ることが対面ほどはうまくできないことが多いためにストレスが非常に溜まってしまう。その中で意思決定するのも大変ストレスがかかるだろう。

これは私の考えだが、テレワークが長く続くとすれば、「非言語の言語化」が必要にならざるを得ないだろうと思う。しかし、それは良い側面も大いにあると思う。多様性に対してより受容的になれるからだ。言語のやりとりのはずが、乗っかっている意味が多すぎると、そのコンテクスト(文脈や背景)を共有していない人にとっては理解できない範囲が大きくなりすぎる。外国人に対して受容的というだけではない。世代間、ジェンダー間、地域間などでも同様なのだ。

ただし、意思決定の遅さは、それはそれで解決しなければならない課題だとも思うが。


宮田 丈裕 (当社代表)




※この記事は、引用・リンクは自由にしていただけます。
ただし、当社の会社名、記事の著者名を引用していただくことと、
どのようなサイトなどのメディアで取り上げるかを
当サイトの「お問い合わせ」から当記事タイトルと共にご一報いただくことを
条件とさせていただいております。




このブログの人気の投稿

イノベーション人材の2タイプ:「構想人材」と「実行人材」

イノベーション人材のタイプには、大きく分けると2種類がある。 イノベーション構想人材 イノベーション実行人材 これらは、当社が音頭を取って開催したイノベーション研究会「FURICO」が出した結論の1つである。 「イノベーション人材」という言葉は今でこそよく聞かれるようになったが、多くの場合、構想人材を指しているように見える。つまり、何らかの革新的な事業や商品の開発を発想し、計画するような人である。これについては、別の記事で、もう少し細分化して説明したいと思う。 (『 イノベーション創出の最重要人物:「イノベーション・プロデューサー」 』 『 経営の中でも最高難度:「イノベーション事業家」 』) イノベーションの創出において、実行人材も同様に重要である。構想人材が自分の構想を、自ら実行することはよくある。しかし、それだけだと難しいというケースは極めて多い。したがって、実行人材を巻き込むことが肝となるケースが多い。 イノベーション実行人材とは、単純化して言えば、構想人材が考えた構想に対して、「それ、面白いかもしれない!」と思い、その実現のために自分でも工夫をしながら前進させていく人である。 そのためには「我事化」や「知的好奇心」が大変重要である。こうしたものを持っていて、それによって自分を”点火”できれば、その他の能力は「あればあるほどいい」という位置付けである。こうしたイノベーション実行人材は意外に多くない。構想人材も極めて少ないが、実行人材も少ないのが現状のように見受けられる。 当社の推計だが、イノベーション構想人材は日本の全労働人口の0.05~0.1%程度、実行人材は1~5%程度しかいない。その他はどういう人か。与えられた仕事を真面目にこなし、自分の”個人的”で”勝手な”好奇心から動いたりせず、我慢強く正確に仕事をやり続ける人たちがその中心である。この人たちは「効率的作業組織」においては大事だが、「イノベーション創出組織」においての優先順位は下がる。 つまり、日本は全体的に言えば、「効率的作業組織」でハイパフォーマンスを発揮する人たちを育ててきた。今もそれは変わらない。それが悪いわけでもないが、それは「イノベーション創出組織」でのハイパフォーマーの姿とはかなり違い、そういう人たちを育ててきていない。もっと正確に言えば、そういう人たちが育つ環境を用意していないケース...

ビジネス着眼とは伸ばせる能力なのか?(ドリル受検対策⑥)

 結論から先に言えば、「ビジネス着眼」という能力項目も、十分に訓練可能なものである。決して先天的なものでもなく、伸ばせない能力でもなく、ビジネスの経験がなくても伸ばせるものである。 とはいえ、もちろん、ほぼ先天的にビジネス感覚の鋭い人はいるし、逆に、ビジネスに興味のない人だっている。なので、程度の差はあるが、それを伸ばしたいと思って効果のある方法を採っていれば訓練して伸ばすことはできる。 この「ビジネス着眼」という能力は、ノウハウやスキルとは別の次元のものである。近年はビジネス的なノウハウを提供している動画や文章が非常に増えている。集客方法、マーケティング方法、売上を伸ばす方法などといった、小規模ビジネス向けのノウハウから、効率的な仕事の進め方、コミュニケーション方法など、もっと一般的なノウハウや専門分野のノウハウまで、あらゆるノウハウに溢れている。 そういうもののうち、あなたが興味をもったノウハウを学ぶことを止めはしないが、それだけでは「ビジネス着眼」は伸びない。その学びをあなた自身の仕事の実践にどう活かすか、どこをどう変えるか、どこがうまくいってどこがうまくいかないか、うまくいかないところをどう解決するか…こうしたことを考えることで「ビジネス着眼」が伸びる可能性が出てくる。 つまり、ビジネス・ノウハウは、あたかもそれが唯一の正解であるかのように提示されることが多いが、それは必ずしも真実ではない。唯一の正解などこの世には存在せず、一瞬存在したとしても常に変化する。実際、たった5年前に提供されていたwebマーケティングのノウハウは、今でも全て有効かと言うと、そうではない。 むしろ、「唯一の正解などこの世には存在せず、一瞬存在したとしても常に変化する」ということを前提としないと、「ビジネス着眼」の能力は伸びないだろう。そこが出発点である。ちなみに、ビジネス・ノウハウがメディアに溢れていることは、ビジネス着眼、ビジネス感覚、ビジネス視点を作る上で邪魔になると私は考えている。なぜなら、独立・起業しようという人が、当たり前のように”正解”を求め、それに忠実にやることがビジネス上の成功の秘訣であると大いなる勘違いをするからだ。それはその人の成功の秘訣ではなく、ノウハウ提供者の成功の秘訣でしかない。(だからこそ、あたかもそれが唯一の正解だと思わせるような表現をしているケ...

社員の顧客視点の劣化は会社にとって命取り

これを書いている今のつい数時間前の話だが、日本の某新聞社が、自社の電子版の広告キャンペーンをやっているのを目にした。そこでは、その新聞電子版のサブスクリプションを止めると「ビジネス実践力がつかない。つけるためには継続が大事。」というような内容を訴求していた。 私は甚だ疑問なのだが、これは何か証拠でもあるのだろうか。継続した人のグループと継続しなかった人のグループで、その人たちのビフォーとアフターとの差に有意な差があったとでも言うのだろうか。百歩譲って差があったというなら、本当にどんな職種においてもその差があると言えるものなのだろうか。 私がこう反論するのは、確信に近いものがあるからだ。まず関係ない。論理的に考えれば関係あるはずがない。「ビジネス実践力」をどう定義するかにもよるが、わざわざ「実践力」を切り取っているのだから、思考面は含めないと考える方が自然である。そうだとすると、人を動かしたり心を動かしたりする感受性を含めたコミュニケーション面や、他者と信頼関係を構築するところや、信頼関係を構築する過程でのパーソナリティの面、あるいは専門的なテクニカルスキルの面が主に関連してくる。新聞の電子版を読み続けると、コミュニケーション能力やパーソナリティやテクニカルスキルなどが上がるのだろうか。そうだとしたらその合理的な理由は一体何なのか。 二百歩譲って、「ビジネス実践力」には思考面やその前提知識も含まれているとしよう。そうだとすると、例えば私が関わらせていただくことの多い「経営視点」を養成するのに新聞を使うことはできる。簡単に言えば、「自分がその記事の当事者の立場だったとしたら、何を感じ、何を考え、どう解決しようとするか」を想像し、できるだけ多くの状況設定や選択肢を想定することで擬似経験の幅や当事者意識の強さを広げたり高めたりすることができるからだ。しかし、「新聞(の電子版)を読んでさえいれば自動的にビジネス実践力(なるもの)が伸びる」わけではない。そういう意図を持って読む必要があるからだ。 いや、広告では「自動的に伸びる」とは言っていない。私がわざわざこんな文章を書いてまでこの広告を問題視しなければならないと考えたのはそこに関係している。「サブスクリプションを止めると伸びなくなる」というような表現をすることで、少し大げさに言えば「脅し」ているわりに「自動的に伸びる」ことは...