私はスポーツの名将や名コーチが好きで、そのチームの試合を見たり、自叙伝のような本を読むことは趣味と言ってもいい。スポーツと言っても、チームスポーツの球技がほとんど。ただし、純粋な趣味と言い切れないのは、それはリーダーシップの教科書のようなものだからだ。
どういう人が名将・名コーチか、という定義というか条件というのは人によって色々だろうが、好成績を継続的に上げることと、継続的に優れたプレーヤーがその人の下で育つことと私は思う。その2つは相互補完関係にあるが、既に完成されたプレーヤーを集めて好成績を上げることも可能なので、その2つの両方が揃っていることだと考えている。もちろん、そのようなことも簡単ではないと思うが。
ある時、私は「私が思う(競技を越えた)名将・名コーチの共通項って、一体何だろう?」と疑問に思った。そう思うと調べずにはいられなくなった。もちろん、お国を問わず。
まず最初に発見したのは、「人間味を出す」ということだった。もちろん多少の演技や方便もあるだろうし、全ての人ではないが、「自分らしい、一人の人間として存在する」ということだ。偉そうにすることはもちろんあまりないし、何か演技していたり、過度に我慢したり…などといったことをする人は少なかった。
この点は私にとってはちょっと意外で、「あえてプレーヤーとは距離を置く」とか、「威厳を保つ」とか、そういう人がもっと多いかと思いきや、実際にはそうではない人の方がずっと多い。
次に、「あまり教えない」ということ。教え魔に名コーチはいない。ほとんどのケースで。これを書き始めると長くなるので、これはこれで別に書きたいと思う。(「名リーダーの条件② ~ 教えないこと」)
この2つを見つけて思ったのは、「名将・名コーチはその人らしくあり、自然体が多くて、あまり教えることがなく、何気なく雑談していることが多い … それって、普通の人だな。他に何かないんだろうか。何か特別な何か…。」
その後、しばらく探していたのだが、共通しているとまで言えることが全然なかった。
しばらくして気付いた。共通項がないし、あっても普通のことということは、「それぞれ独自のやり方でやっている」ということと言い換えられる。物事には原因と結果とがあるが、普通のやり方(原因)をやれば普通の結果が返ってくるわけであって、普通ではない結果を出している人は普通ではない原因(やり方)を持っていることが多いと言える。
仮に、よく言われるように、日本社会では同調圧力が強いのだとすれば、普通ではないやり方をやろうと考えることはためらってもおかしくない。そうした社会的な固定観念が、実は社会的に固定されたものでしかなく、他にも色々な”自分なりの正解”があり得る、という気付きを得ているということが共通項だと言い換えられるのかもしれない。
私は、「普通でないやり方をやろうとする」ということは一つの重要な能力でないかと思う。それがあれば名リーダーになれるとまでは言えないが、必須条件ではないだろうか。
若い方を見ていると、「どうしたらいいんだろう?」とか「どうするのが正解?」などと迷っている人を見かけることがしばしばあるが、その人なりの”正解”を探してほしいと思う。その”正解”は色々あり得るし、既に”正解”とされていることよりも効率的・効果的でないことをやってしまう可能性はあるが、それを経験するのとしないとでは後々大きな違いになることは往々にしてある。
そういう人たちよりも年上の方を見ていると、そういう時に教え魔にならないでほしいと私は思う。上記のような若い人たちの迷いに対して、「こうしないとダメだね」などということを言えば言うほど、名リーダーを作る可能性を小さくしていってしまうし、あなた自身も名リーダーの道から遠ざかっていく。(良いリーダーになりたいと思わない人もたくさんいると思うが、リーダーに限らず、ありとあらゆることで同様のことが言える。)
そうした年上の人たちは、迷うことは少ないが、それはもう固定観念でガチガチに固まっているから、というケースが少なくない。そうやって社会の同調圧力と、「普通でないやり方をやろうとする」ことへの抑圧を、ぜひやめていただきたいと願う。
さらに言えば、成長することに遅すぎるということは一切ない。あらゆることで、人とは違う自分らしいやり方を追求してみたらいかがかと思う。そこまででなくても、自分が固定観念によって「それが当たり前になっているんだな」ということを気付いてみたらいかがだろう、と思う。
宮田 丈裕 (当社代表)
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