思考表現とは、思考しながらその過程を表現することであり、表現しながら思考を整理し、さらに発展させることである。雑談や友達同士のお喋りのように、何を表現するかを予め決めずにその時々の反応や思い付きで表現する内容を決めることだが、ただし、思考を回転させながらそれをすることである。
したがって、沈思黙考タイプの人は少し苦手かもしれない。自分の中で黙ってじっくり思考し、結論を見つけてから今度はそれをどのように表現するかを考える…というパターンの表現では、ここでは不十分になりやすい。
イノベーションの創出プロセス…そんなに大袈裟ではなくても、何か従来にないものを創り出す要素がある集団での活動の中では、個々人の暗黙知を表現して共有し、形式知にしていく必要がある。1人の個人でやる活動なら自分一人の中でやればいいので共有は必要ないかもしれないし、感覚知で十分かもしれないが、集団となると、言語化や何かしらの表現は必要である。この点については、野中郁次郎氏のSECIモデルをご参考にしていただきたい。
多かれ少なかれ、「弁証法」的でもある。例えば、思考テーマがあり、まずはとりあえずの自分なりの答えを出す。しかしそうすると問題点や矛盾が出てくる。それに対してどう答えるか。こうした自問自答のような対話を繰り返す。
思考というものは、若干比喩的に言えば、自問自答のようなものである。自分で問いを作り、自分で答えを出す。それを発展させていく。どういう内容であれ、どういう方向性であれ、創造的思考を発展させるのがうまい人は、頻繁にこれをやる傾向がある。そうでなければ、基礎発想的なスキルで発案したアイデアでは、非常に薄っぺらくなりやすい。基礎発想はそれでいいのだが、それを十分に発展させ、深化させる必要がある。
私自身は、自分で客観的に見て、これが下手ではない。意識してそうするようにしていて、うまくなってきているのではないかと思う。つまり私が言いたいのは、訓練可能なスキルである。ちなみに、私はここにある記事は全てこの表現方法で書いている。書く内容を予め決めたりしていない。もちろん、大枠でのテーマはあるが、それに対して答えを出し、「自分が読み手だったら」そこで浮かぶ反論を問いにして、話を展開させている。いつの間にか長くなり、いつも何千字という文字を書いてしまう。
思考表現をしている人というのは、文章が長い傾向がある。それは自然なことなのだが、多くの人にとって、書くことよりも喋ることの方が圧倒的に表現スピードが速く、結果的に大量になるからである。当然、個人個人によって得意不得意の度合いは違うが、少なくともある程度は、「考えること」と「書くこと」が直結する感覚を持てるようになれる。
しかしながら、日本の学校教育では、与えられた問いに対して、唯一絶対の”正解”が存在し、いかに素早く、正確かつ効率的にそれに辿り着けるか、ということを何万回、何億回と、繰り返している。全てを学校教育のせいにするつもりはないが、これがとても大きい。
自分で問いを作ること。問いとは、視点を具体化したものである。創造的思考のためには、これによって多角的に検討することが不可欠である。
学校教育といえば、作文を起承転結などで構成して書くよう指導されるが、それももちろん悪いことではないが、文章の書き方はそれだけではない。その書き方だと、創造的思考は育ちにくい。
受検対策のために言えば、基礎発想でもそうだが、基本は「質より量」である。「こんなことを書いたら正しくないのではないか?」などと、求められることを推測してそれに沿って書く「忖度表現」はする必要がない。自分を解放してあげてほしい。
どのように考えてどのように表現しても、入社したい会社から不合格を言い渡されようと、上司や先生に怒られようと、元々正解などない。あなたが考えて表現したことも十分に正解かもしれない。ビジネスでは顧客に選ばれることが”正解”だが、その”正解”もすぐに変わることは非常によくある。
「『考えること』と『書くこと』が直結する感覚」と書いたが、本来は別々に分かれたものではない。ただ、表現において、書くことが得意な人と、喋るのが得意な人がいる。喋るのが得意な人にとっては思考と表現を分けずに、考えながら喋ることもあるだろう。書くのが得意な人にとっては、そこまで思考と表現を分けたことがないかもしれない。
ドリル・アセスメントでも、人が喋ったことを自動認識して解析することも、これまでにも検討してきたし、技術的には可能なのだが、書くことがますます重要になっているために書くことを中心にしている、という背景もある。手書きでもいいが、手書き以外が特に重要性を増している。つまり、メールやSNSやイントラネットなど、PCやスマートフォンを使って書く機会は数十年前よりも確実に増えており、減る兆しはほとんど見えない。
もちろん、長文が必ずしもいいわけではないが、「いくらでも長い文章を書いていい」とされた時には、思考表現がうまい人とそうでない人ではかなり大きな差が出てしまう。
対策を挙げるなら、書くスピードを上げることも兼ねて、考えながら書く、書きながら考えることに尽きる。構成や結論や言いたいことなど、文章を書く時に大事だとされていることは、まずは一旦忘れた方がいいと思う。何を書いても間違いではなく、誰に気を遣うわけでもなく、自分自身で本質的核心に迫っていければいい。
そうすると、考えながら書くことが「楽しい」と感じられ、興味あるテーマなら「ずっと書いていられる」という状態になれると思う。そこまで来ると思考表現はもう十分以上である。
(私も、最初はこのテーマについて書くのに500字程度で終わるんじゃないかと思っていたが、書き始めたら楽しくて、色々な角度の自問自答を展開したため、2000字以上書いてしまった。これは毎回同様である。)
宮田 丈裕 (当社代表)
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