イノベーション人材に求められる能力のうち、最も基本的で重要なものの一つは「知的好奇心」である。他にも「我事化」を別記事で挙げたが、「見たことがないものを見た時に知的好奇心が強まり、それを基にして我事化する」ことがなければ、イノベーションのその人自身のきっかけがなくなってしまう。
何度も言うようだが、世に言われるイノベーションは結果論である。それが創り出されるプロセスにおいては、それが多くの人のライフスタイルや常識を変えてしまうようなものになるとは、関係者全員が思っていないかもしれない。つまり、関係者にとっても「見たことがない」もので、「は!?何これ???」…言語化すれば、根底にパラダイムシフトを含んだものでもあったりするかもしれない。従来の枠組みや視点や価値観ではどうにも理解しようがないものかもしれない。
その時に発動させるべきものが知的好奇心である。「は!?何これ???」に続いて「面白そう…」とつぶやく精神と言ってもいいかもしれない。
イノベーション人材の能力は、「自分自身をイノベーション人材だと位置付けたい人」や「会社にイノベーション人材だと認定された人」だけに役立つものではない。「自分はイノベーション人材ではない」という人にとっても、基本的能力があると、周囲で起きるイノベーションの試みをむやみに否定しなくなる。これもとても重要なことだ。
知的好奇心とは、経験のない物事に対して興味を持つ心理的プロセスである。なぜ「好奇心」だけではなく、「知的」好奇心と言っているかというと、好奇心は高等動物全般が持つ、本能に基づくと思われるもので、「知的」が付くと人間特有のものになり、本能に基づかずに思考や心理メカニズムによって興味を持つことだからである。
好奇心は高等動物全般が持っているものと言ったが、そうであるとすれば、知的好奇心は人間全般が持っていてもおかしくないことになる。実際、ご存知の通り、特に人間の子供の1才から3才ぐらいの時期には、知的好奇心が強くて何でも触ったり食べたりしようとするので、むしろ危ないことも多いほどである。3才~6才ぐらいでは、「なんで?」という質問を連発したりする子も多い。
しかし、大人の人たちに「あなたは、自分が好奇心旺盛だと思いますか?」と尋ねると、実際に研修や講演で訊くのだが、「いいえ」と答える人はおそらく半分以上だ。あなた自身はどうだろう? あなたの周りの人たちはどうだろう? 知的好奇心が旺盛な人が多数派なら、あなたはおそらく知的な挑戦が良しとされている環境に身を置いているに違いない。むしろ、少ないのが普通と言っていい。
つまり、人間は子供から大人になる過程で、知的好奇心を失っていくことが多い。大人になっても知的好奇心が旺盛な”変人”は、どこか子供っぽく見えることがあるほどである。つまり、大人の人間は、多かれ少なかれ、知的好奇心を抑制しなければならないと思い、それを抑制してきた人が多い、ということである。
ということは、知的好奇心が弱いという人は、知的好奇心と呼ばれる火のようなものが自分の心の中では存在しないということではなく、火種はあるのだが、それを自ら消していると考えられる。
でも、自ら消さない時は消さないという人も多い。芸能人や有名人のゴシップが非常に多くの人の強い関心を集めるのは、全く興味のない私にとっては理解し難いが、よっぽど普段、知的好奇心から来る知的な欲求を抑えてしまっていると考えることも不可能ではないだろう。
さて、イノベーション人材の話に戻るが、イノベーション人材は構想人材だけでなく実行人材も、仕事とは一見関係なくても知的好奇心を持つ人材である。これは難しいことだ。「効率的」であることが良しとされる現代社会で、いや、もちろんその良さもあるが、そこで一見無駄で役に立たない事柄に興味を示すわけだから。
当然のことながら、自分にとって新しい物事に出会った時に、知的好奇心が沸き、しかし詳しく知ってみると興味がなくなることはいくらでもある。あるいは、例えば電化製品の新商品に興味は沸くが、政治の世界での新たなニュースに興味が沸かないというようなケースもいくらでもあるだろう。問題はその幅だろう。
ドリル・アセスメントの対策としては、まず、「知的好奇心は自分にもある」と理解することだ。その前提のもとで、自分が「んん?」と感じたことに意識的に気付くことである。そこから先は好きにすればいい。少し調べてみてみるのもいいだろうし、自分がどういうことに興味を持つのかについて自己分析してもみるのもいいだろう。それを続けていけば、知的好奇心の窓が開いていくはずである。
実際、私も、知的好奇心の幅が非常に狭い人間だったが、自分自身に”許可”することで非常に旺盛になった。全ての興味を追いかけていると時間がいくらあっても足りないので、インプットをセーブしているほどになった。自慢したいわけでは全くなく、むしろ自慢でも何でもないと思うが、誰にでもできると言いたい。
知的好奇心に気付くことは、もしかしたら社会的に抑制されてしまっている自分の本来的には健全な欲求を大事にすることともいえる。つまり、とかく社会や共同体や組織の全体を最優先し、それは良いことでもあるが、その弊害である自分を無意識に抑え込んでいるところを解放することも、少なくとも同様に大事なことだと思われる。知的好奇心が旺盛な大人は、子供っぽく見えることもあるかもしれないが、イキイキしているように見えることも多いとは思わないだろうか?
したがって、ドリル対策としては、あなた自身を大事にして、解放してあげてほしい、ということを申し上げたいと思う。
宮田 丈裕 (当社代表)
※ドリル・アセスメントの仕様によっては、知的好奇心を測定していないものもあります。
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