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「やりたい仕事」の罠


10代から20代ぐらいの人たちから、こういう声をよく聞く。「将来やりたい仕事が見つからない。」

私はそれはごく自然なことだと思う。なくて当然だと思う。その上、むしろ、「やりたい仕事がある」ことは素晴らしいことなのだが、少し注意した方がいい。






世の中全般的に、「やりたい仕事」を早くに見つけ、そのために勉強するなりスキルを習得するなりすることが、ある種の美徳とされているように感じられるが、これは矛盾を孕んでいる。

仕事では、お金を稼ぐこととは切っても切り離せない。それを目的にするかどうかは別にしても、お金を稼ぐことは最低の条件とも言える。もちろん、お金を稼がない仕事というのもあるし、それもれっきとした仕事だが、その仕事以外の何らかの”源流”からお金が流れてきているからそれができることがほとんどだろう。

お金を稼ぐなら、あるいは仕事をしていくなら、自分自身のマーケティングが必要である。マーケティングとは、顧客のニーズを捉えて、ニーズを少しでも超えて価値を提供(しようと)することだ。

私はよく「プロダクトアウト」と「マーケットイン」という言葉を引き合いに出すが、プロダクトアウトとは、商品の良さを押し出すことでそれを売ろうとすることで、マーケットインとは市場(顧客)が求めるものを用意して売ろうということだ。完全なプロダクトアウトだと商品は逆に売れにくいのだが、「やりたい仕事」とはプロダクトアウト性が強い考え方だ。

仕事においては、プロダクトアウト的な部分ももちろん必要だが、基本はマーケットインだ。当たり前の話だ。何かを頼まれて、それを完遂するのが仕事だからだ。自分がやりたいことをやって、それを「すごいでしょ?」と見せることで完了する仕事というのは非常に少ない。

「やりたい仕事」の影に隠れた矛盾がそこにある。仕事というものは頼まれたことをやることが基本だ。あるいは、何らかの必要性がある事柄について、自分から「じゃあ、それ、私やりますよ。」と言い出してやることが基本だ。ついでにマーケティングの考え方を入れれば、その上に「ニーズを超えた価値」をおまけで付けてあげてインパクトまで与えられたら最高である。

交渉術をご存知の方ならお分かりだろうと思うが、交渉において、本当にほしいものややりたいことはできるだけ出さない方がいい、という原則がある。なぜなら、それが弱味になるからだ。仕事を頼みたい人がいて、誰かに頼んでみた時、頼まれた人が「やりたい」と言えば、やることはほぼ決定で、その条件は低くなってもおかしくない。それに文句を言っても、「やりたいんでしょ?やりたくないなら他にあたるからいい。」と言われたらそれでおしまいである。

頼まれた人が「うーん、どうしようかなぁ」と言うと、頼む人は「お願いだから」などと言う。「これもあげるから」などという譲歩もよくある。

少し余談になるが、世間では、小さい頃から「将来の夢」を持つことが奨励され、美徳とされている。幼稚園や保育園や小学校でも将来の夢を書かされたりする。もちろん夢を持っている子もいるだろうが、持っていなくても何の不思議でもない。「仕方ないから適当に書いた」という子が多いことは、どれほどの大人が知っているのだろうか。それでも「夢を持て」というようなことを強制するのは、主に大人や親のエゴだ。そこで「学校の先生になりたい」とでも書いておけば、先生も親も悪い気はしない。だから学校の先生が夢ランキングの上位に入る理由だというのが私の仮説だ。

世の中で、憧れられている仕事は、スタートしてから下積み期間のような時期は得てして収入は極めて低い。モデル、アイドル、プロスポーツ選手、ミュージシャン、俳優、起業家、フリージャーナリスト、などなど。華々しいのはそのうち、ほんの一部の人たちである。

繰り返すが、「やりたい仕事」を持っている人がその夢の実現のために努力することは素晴らしいことだ。ぜひ実現させて成功していただきたいと願う。ただし、仕事の基本は「やりたいことをやる」ことではない。「頼まれたことをやる」ことだ。頼まれてもいないのにやりたいことにこだわりすぎると、交渉不利にもなるし、状況が難しくなっていく。

状況が難しくなることも決して悪いことではない。別の記事でも書いたが、修羅場は貴重な経験になるからだ。重要なのはそこで学ぶことだ。(『ハイパフォーマーの重大な共通項、「修羅場経験」』)

ただ、「夢を持って、それを強く願って、努力する」という一般的な美徳には大きな落とし穴があるということだ。夢や「やりたい仕事」を思い描いている人には、それをやめろと言いたいのではなく、できるだけ柔軟に、誰かにもらったチャンスに対応していくといいだろう。

それよりもずっと多いと思われる、夢や「やりたい仕事」をはっきりとは持っていない人に対して申し上げたいのは、むしろそっちの方がいいかもしれないし、そのことに自信を持ってほしい、ということだ。

では、そんな中でどんな仕事をしたらいいか、ということについては別の記事として書きたいと思う。


宮田 丈裕 (当社代表)




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