スキップしてメイン コンテンツに移動

ハイパフォーマーの重大な共通項、「修羅場経験」


ある、かなり大規模な企業で、事業部長や部長クラスの方々を対象としたインタビュー・アセスメントを実施したことがあった。






どの会社でのインタビュー・アセスメントでも同様だが、時々、「飛び抜けたハイパフォーマー」がいらっしゃる。お話を聴いていて本当に楽しいし、インタビュアー個人にとってもとても勉強になったりもする。いわゆる”サラリーマン”というよりは優秀な事業経営者であり、何かしらの凄みがにじみ出る。インタビュー時間もあっという間に過ぎてしまう。

ちなみに、彼ら・彼女らは「話し方がうまい」とは限らない。つまり、自分の話を魅力的に飾り、興味を惹き付け続けるような構成で話す、というような方とは限らない。話し方が下手なことは決してないが、話し方のせいでインタビューが楽しいのではない。むしろ、ほとんどの方に共通して、こちら(インタビュアー)の質問に対して的確に、冗長になり過ぎずに答える。これは実はインタビュイー(インタビューの対象者)のうち、私の経験の中では、せいぜい1~2割の方しかできていない。半分前後のインタビュイーは質問と答えがずれてしまう。

他にもいくつか共通項はあるのだが、私はある時、「もしかして、こんな共通項があるのか?」と思い、過去のインタビュイーについても記録を調べてみたことがある。何に気付いたかというと、表面的には様々なものなのだが、非常に厳しい状況に1人で置かれたことが、半年~2年ぐらい続いていた、という体験が共通していると思ったのである。

調べて集計してみた結果、インタビューでは過去の背景情報を全て聞き出しているわけではないので、そのような体験があったかなかったか定かではないという人を除いた人のうち、81%の人がこうした体験をしていた。やっぱりそうか、と唸った。

言い訳するわけではないが、その体験には色々なものが含まれているので、共通しているとはなかなか気付けなかった。例えば、ヨーロッパのある国に一人で送り込まれて人脈も何も文字通りゼロの状態から現地法人を立ち上げたとか、下手をすると数百億円の赤字を出すリスクがあった事業の火消しに送り込まれたとか、大口の顧客企業との間で起こった大トラブルの解決を1人で任されたとか…。

それは私はよく理解できた。自分にも自分の会社が倒産しかけ、顧客トラブルもあり、この経営者として難しい時期を乗り越えたことで、自分の「OS」が変わった感覚があるのだ。自分がハイパフォーマーだと言うつもりはないが、物事の見え方が完全に変わった。言葉では言い表しにくいのだが、この体験が今の自分の基盤になっていることは間違いない。

なので、その方々についても、その体験が大きな成長につながったのかもしれない。かなりの確率でそうだ。これは大きな発見だと思っていたら、既にこうしたことを語っている人がいて驚いた。モーガン・マッコール氏がそうした「修羅場体験」について語っていた。

この話をすると、修羅場体験者の方には、すぐに、しかも痛いほどの実感知を伴って、「それ、めちゃくちゃわかる」などという反応が返って来る。非体験者は「へぇ~、そうなんですね」ぐらいの反応なので、圧倒的な差がある。

実は、これが「ドリル・アセスメント」を開発することにつながっていくのだが、それはまた別の記事で書こうと思う。


宮田 丈裕 (当社代表)



※この記事は、引用・リンクは自由にしていただけます。
ただし、当社の会社名、記事の著者名を引用していただくことと、
どのようなサイトなどのメディアで取り上げるかを
当サイトの「お問い合わせ」から当記事タイトルと共にご一報いただくことを
条件とさせていただいております。


このブログの人気の投稿

知的好奇心とは何か?(ドリル受検対策②)

イノベーション人材に求められる能力 のうち、最も基本的で重要なものの一つは「知的好奇心」である。他にも「我事化」を 別記事 で挙げたが、「見たことがないものを見た時に知的好奇心が強まり、それを基にして我事化する」ことがなければ、イノベーションのその人自身のきっかけがなくなってしまう。 何度も言うようだが、世に言われるイノベーションは結果論である。それが創り出されるプロセスにおいては、それが多くの人のライフスタイルや常識を変えてしまうようなものになるとは、関係者全員が思っていないかもしれない。つまり、関係者にとっても「見たことがない」もので、「は!?何これ???」…言語化すれば、根底にパラダイムシフトを含んだものでもあったりするかもしれない。従来の枠組みや視点や価値観ではどうにも理解しようがないものかもしれない。 その時に発動させるべきものが知的好奇心である。「は!?何これ???」に続いて「面白そう…」とつぶやく精神と言ってもいいかもしれない。 イノベーション人材の能力は、「自分自身をイノベーション人材だと位置付けたい人」や「会社にイノベーション人材だと認定された人」だけに役立つものではない。「自分はイノベーション人材ではない」という人にとっても、基本的能力があると、周囲で起きるイノベーションの試みをむやみに否定しなくなる。これもとても重要なことだ。 知的好奇心とは、経験のない物事に対して興味を持つ心理的プロセスである。なぜ「好奇心」だけではなく、「知的」好奇心と言っているかというと、好奇心は高等動物全般が持つ、本能に基づくと思われるもので、「知的」が付くと人間特有のものになり、本能に基づかずに思考や心理メカニズムによって興味を持つことだからである。 好奇心は高等動物全般が持っているものと言ったが、そうであるとすれば、知的好奇心は人間全般が持っていてもおかしくないことになる。実際、ご存知の通り、特に人間の子供の1才から3才ぐらいの時期には、知的好奇心が強くて何でも触ったり食べたりしようとするので、むしろ危ないことも多いほどである。3才~6才ぐらいでは、「なんで?」という質問を連発したりする子も多い。 しかし、大人の人たちに「あなたは、自分が好奇心旺盛だと思いますか?」と尋ねると、実際に研修や講演で訊くのだが、「いいえ」と答える人はおそらく半分以上だ。あなた自身はどうだ

社員の顧客視点の劣化は会社にとって命取り

これを書いている今のつい数時間前の話だが、日本の某新聞社が、自社の電子版の広告キャンペーンをやっているのを目にした。そこでは、その新聞電子版のサブスクリプションを止めると「ビジネス実践力がつかない。つけるためには継続が大事。」というような内容を訴求していた。 私は甚だ疑問なのだが、これは何か証拠でもあるのだろうか。継続した人のグループと継続しなかった人のグループで、その人たちのビフォーとアフターとの差に有意な差があったとでも言うのだろうか。百歩譲って差があったというなら、本当にどんな職種においてもその差があると言えるものなのだろうか。 私がこう反論するのは、確信に近いものがあるからだ。まず関係ない。論理的に考えれば関係あるはずがない。「ビジネス実践力」をどう定義するかにもよるが、わざわざ「実践力」を切り取っているのだから、思考面は含めないと考える方が自然である。そうだとすると、人を動かしたり心を動かしたりする感受性を含めたコミュニケーション面や、他者と信頼関係を構築するところや、信頼関係を構築する過程でのパーソナリティの面、あるいは専門的なテクニカルスキルの面が主に関連してくる。新聞の電子版を読み続けると、コミュニケーション能力やパーソナリティやテクニカルスキルなどが上がるのだろうか。そうだとしたらその合理的な理由は一体何なのか。 二百歩譲って、「ビジネス実践力」には思考面やその前提知識も含まれているとしよう。そうだとすると、例えば私が関わらせていただくことの多い「経営視点」を養成するのに新聞を使うことはできる。簡単に言えば、「自分がその記事の当事者の立場だったとしたら、何を感じ、何を考え、どう解決しようとするか」を想像し、できるだけ多くの状況設定や選択肢を想定することで擬似経験の幅や当事者意識の強さを広げたり高めたりすることができるからだ。しかし、「新聞(の電子版)を読んでさえいれば自動的にビジネス実践力(なるもの)が伸びる」わけではない。そういう意図を持って読む必要があるからだ。 いや、広告では「自動的に伸びる」とは言っていない。私がわざわざこんな文章を書いてまでこの広告を問題視しなければならないと考えたのはそこに関係している。「サブスクリプションを止めると伸びなくなる」というような表現をすることで、少し大げさに言えば「脅し」ているわりに「自動的に伸びる」ことは

若手社員の昇降格に「ディスタント・アセスメント」を活用した事例

あるクライアントでは、当社サービス「ディスタント・アセスメント」をご活用いただいている。この企業では、管理職の昇降格には集合研修形式(アセスメント・センター方式)のアセスメントが実施されているが、それを経験の浅い層の昇降格判断に用いるには、色々とそぐわない点がある。 まず、何と言っても大きい要因は人数の多さである。経験の浅い社員層の中で、上司から昇降格を推薦された人は毎年100人前後であり、アセスメント・センター方式ではかなりのコストがかかる。また、同方式は2日間のプログラムであることが多いため、参加者が通常の仕事を抜け、交通費をかけて1ヶ所に集まり、宿泊や食事の費用も考慮に入れると、非常に高い実質コストになり得る。 アセスメント・センターがそぐわない点は、それがフォーカスするのが「マネジメント能力」中心である、ということでもある。経験の浅い層にはマネジメントを行っている人もいるし、そうでない人もいる。近い将来に求められていない能力を測ることは、目的からしても公平性からしても、あまり合わない。 後者の理由からインタビュー形式のアセスメントも検討されたそうだ。インタビューなら、マネジメント能力でなくても、コンピテンシーが設定されていれば問題なく能力を測定できる。ただし、1人あたりのコストはアセスメント・センターの半分になるかというと、おそらくそこまで安くはならないだろう。 一番ボトルネックとなるのは、人数の多さから来る、アセッサーの稼働にかかる費用と言える。それを解決するために、「ディスタント・アセスメント」では色々な費用抑制の工夫をしている。 残念ながらその中身を詳細に明かすことはできないが、おそらくアセスメント・センターの参加者1人あたりのコストの1/3以下、実質コストで考えれば控えめに考えても1/4以下ではないかと考えられる。 同時に高いクォリティを保つよう努めている。もちろん、アセッサーの努力の賜物である。ただ、アセッサーにとっても、このアセスメントをすることがとても勉強になり、また、楽しいものでもある。 もちろん、「ディスタント」(遠隔)とある通り、受検者は自宅でもどこでも、つまりどこかに集まらなくても実施できるものでもある。 ただ、「ディスタント・アセスメント」も万能ではない。システム的に処理する検査類などのアセスメントに比べればコストは高いし、精度の担保