もしかしたら、既に忘れ去られつつあるのかもしれないが、昔「働き方改革」というものがあった。いや、昔のことに思えるが、調べてみると、2016~18年頃に盛んに議論されていた。
ブラックな働かせ方が横行していた(している?)日本において、私もその必要性は理解できるが、全くもって非論理的な議論も含まれていた。何年かして検証すべきだと思っていたのだが、そろそろ検証してみようと思う。
日本で働き方改革が政府主導で推進され、2017年には、政府による「働き方改革実行計画」の中でこう謳っている。
「経済成長の隘路の根本は、人口問題という構造的な問題に加え、イノベーションの欠如による生産性向上の低迷、革新的技術への投資不足。」
ちなみに、私は知らなかったのだが、「隘路」というのは「あいろ」と読むそうで、細くなった道というような意味で、つまりボトルネック、問題点というような意味のようである。さほど一般的でない表現をすることに何か少しでも意味があるのだろうか。
そして、「日本経済の再生を実現させるためには、投資やイノベーションの促進を通じた付加価値生産性の向上と、労働参加率の向上を図ることが必要。」と。
なるほど、と。ただし、ここから先は私にはほとんど理解できないのだが、そのための方法として挙げられているのは、全く悪意なく要約すると、以下のようなもの。
- 「非正規」という言葉を一掃すれば、モチベーションが上がって労働生産性が上がる。
- 長時間労働を是正すれば労働参加率が上がり、労働生産性が上がる。
- 単線型の労働市場・企業慣行が柔軟になれば、付加価値の高い産業への転職・再就職が増え、全体の生産性が上がる。
1つ質問したくなるのは、「非正規、長時間労働、単線型キャリアパスをなくせばイノベーションが起こって生産性が上がるのですか?」という点であり、もしその答えが「そうだ」というなら、さらに「正気ですか?」と問いたい。
いや、それでも成果が出ていればいいのかもしれない。その場合は潔く考えを改めたい。新型コロナウィルスが蔓延した2020年よりも前、2019年度のデータを見てみると付加価値は残念ながら上がっていない。(「経済産業省企業活動基本調査」)
新型コロナウィルスの蔓延で経済が縮小しているので2020年以降を見ていないが、仮にこの間、リモートワークが普及したことが「働き方改革」に貢献しているとすれば、付加価値が(額でなくても率でもいいが)上がっていてもおかしくないが、おそらくそうなってはいない。
私自身に反論しよう。「働き方改革」の効果は長期的に見込めるものであり、すぐにどうのこうのという話ではない。OK、これまでの統計値だけで判断することはやめておこう。ただし、「これまでのところ目立った成果は全くない」というのが事実であることは間違いない。
さらにもう1点反論しよう。「働き方改革」は、いわばイノベーションが起きる土壌を作るようなものであり、そこからどのように芽を出し花を咲かせるかは個別の企業次第である。したがって、働き方改革がイノベーション創出に直接的に貢献しなくても「不必要だった」ということにはならないはずだ、と。
確かにこの点は私もそう思う。弊社が提供している「イノベーション組織診断」でも、まぁ、簡単に言えば「余裕なくあくせく働かなければいけない環境」はイノベーションを阻害する。他にもそうした組織的阻害要因がいくつかあるが、そうしたものをなくせばイノベーションが自動的に生まれるわけではなく、あくまでイノベーションが生まれてくる土壌になる。しかし阻害要因があると生まれる可能性が極めて低くなってしまう。つまり十分条件ではないが必要条件ではある。「働き方改革」はそれと似た位置付けとも考えられる。
ただし、この首相官邸の発表内容では、事実として、そんなことは言及されていないのだが。
そんな会社はないことを願うが、「働き方改革を推進するとイノベーションが生まれてくる」と本気で信じて実行している会社がもしあったら、残念ながらそうなる確率は低い。
非常に単純化して言えば、過去のイノベーション事例において、それを実現したのは大胆な発想の転換やその実現のための懸命な努力である。働き方改革が進むとそれらが実現されるのだろうか。働き方改革が逆効果だとまでは言わないが、私にはそうは思えない。
少し余談になるが、働き方改革を推進した安倍内閣は果たしてイノベーションの創出方法をどれだけ考え、実行したのだろうか。彼らの自慢だった、いわゆる「アベノミクス」はイノベーションでは全くない。アベノミクスは本質的なアクションとしては量的緩和によって(要するにお札を刷って)インフレーション率を上げ、デフレーションを食い止める(ついでにそれによって円安に誘導することも含まれていたと思うが、政府は当時白々しく否定していた)ということである。デフレ下で量的緩和をすることは既に世界的潮流だったし、発想の転換はそのどこにも見られない。意義があったことは認めるが、ごく「普通のこと」である。
2017年頃の当時、メディアで「働き方改革」についてこんな解説をしていたのを目にしたことがあった。「働き方改革によって、ワークライフバランスが良くなり、いきいき働くことに繋がり、それがイノベーションを生み、生産性を向上させるわけです。」と。私は問いたい。「正気ですか?」と。なぜそんな現実味の薄い楽観論を展開するのか、全く理解ができない。おそらく、「働き方改革」の推進ありきで、説得力を増強させるためにイノベーションや生産性の話をくっつけたようにしか見えない。なぜなら、さっき書いたように、それは十分条件ではないからだ。
また、「生産性」の誤解がメディアにもしばしば見られた。生産性という言葉が効率性(特に時間効率性)とほぼ同じ意味で使われていたことがあった。つまり、より短い時間で同じ量の仕事をすることが生産性だと認識されている節があった。「それって時短でしょ」と突っ込みたくなったものだ。
生産性とは「アウトプット÷インプット」であり、分母のインプット(つまり投入資源)を小さくすることは、分子のアウトプット(つまり付加価値)が変わらなければ生産性は確かに上がる。しかしそれが全てではない。「アウトプット」が無視されている。働き方改革を推進するとどうして付加価値(企業単位で言えば、大雑把に言って営業利益と置き換えてもいい)が上がるのかの議論がされないことが多い。あるいは、インプットを下げるのだからアウトプットも下がってしまうのは自然な因果関係であるが、アウトプットが下がらない合理的理由も議論されないことが多い。