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イノベーション人材アセスメントをどう活かしたらいいか?

ここでは、イノベーション人材アセスメント(名称は提供サービスによって異なります)を受検された方がその結果を受け取った時のご参考までに、その活かし方を解説したいと思います。


まず、あなたの結果は、全体的にどうでしたか? 評価の低さにがっかりしていますか? それとも、全体的に高くてびっくりしていますか? あるいは、高いものも低いものもあった、という感覚でしょうか。





評価が全体的に低くても、または低い項目があっても、引け目を感じる必要はありません。これはあくまで「イノベーション創出人材としての素養」を測ったものであり、あなたのこれまでのキャリアでイノベーション創出を試みた経験が少なければ鍛えられない能力項目が多いはずです。その中でも高い項目があれば、それはあなたの天才的な部分か、イノベーション創出とは言えない経験の中で鍛えられた部分ではないでしょうか。


「イノベーション創出を試みた経験」は、もっていない方が大半です。しかし、経験がなくても、基本的には誰にでも可能性はあります。つまり、全ての能力項目が、鍛えれば伸びる能力ばかりです。なので、がっかりする必要は全くなく、ごく自然なことです。


また、能力項目は「全てにおいて一定レベル以上なければならない」わけでもありません。もちろん、イノベーション人材にとっては「ほぼ必須項目」と言えるものもありますが、それ以外は「あればあるほどいい」という位置付けです。


そもそも、「イノベーション創出」のプロセスでは、一般的な業務とはかなり違う側面が求められます。だからこそイノベーション創出の経験がなければこうした能力をもっていなくても全く不思議ではありませんし、経験があっても鍛えられていないケースも非常に多くあります。(ご参考:イノベーション失敗パターン④:【効率的作業組織 vs イノベーション創出組織】


さて、こうした前提がある中で、あなたはその結果を受けてどうしたいですか? 例えば、「私はイノベーション人材になりたいとは思わないから、この結果を受けてどうこうしようとは思わない。」という本音もあり得ます。それはそれで、もちろんアリだと思います。


もし、「この能力は高めてみたい」とあなたが思うものがあれば、ぜひ以下をご参考にしてみてください。


まず、能力項目には大きく分けて2種類あります。「人間力」と「創造的知的能力」です。このうち、人間力は必須項目に近いものです。あなたの結果の中で低かった能力項目、またはさらに高めたい能力項目が人間力の項目なら、優先して向上を図ることをおすすめします。


人間力には以下のような項目があります。それぞれ、向上させるためのご参考記事をリンクしておきます。

※アセスメントの種類によって項目が異なることがあります。


ちなみに、「人間力」というと幅が広いのですが、これは「イノベーション創出のために必要な人間力」です。どんなに「創造的知的能力」が高くても、「人間力」が低ければイノベーション創出への貢献はかなり限定的になる、というものです。


次に「創造的知的能力」です。小学校の夏休みの宿題で「自由研究」が出た時に、「どうしよう?」「何をやったらいいだろう?」などと思う人が多いことに象徴されるように、創造的知的能力に対しては全般的に苦手意識が強い人が多いものです。工夫したり、アイデアを発案したりすることができると思っている人はごく少数です。おまけに、苦手意識が強い人の中には、そうした能力は先天的なものであって自分にとっては不可能だと信じ切っている人が多いのですが、決してそんなことはありません。ぜひ下にリンクした記事をご参考に、試しに向上させてみてください。


※こちらも、アセスメントの種類によって項目が異なることがあります。


いずれの能力項目も、実は「面白がって夢中になる」といつの間にか伸びるものばかりです。だからこそ、これらの向上を試してみていただきたいと願っています。多くの方(全ての人ではないとは思いますが)にとって、人生が今まで以上に豊かなものになると思います。



宮田 丈裕 (当社代表)




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