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創造性とは、伸ばせる能力なのか?


ドリル・アセスメントでは、創造性を測定しやすい。それはアウトプット能力全般に関わる。

よくこういう声を聞く。「自分はクリエイティブな仕事に就いてないから…。」広告代理業のクリエイティブ職や、アニメ制作会社のアニメーター職がその「クリエイティブな仕事」だと思っていらっしゃるのかもしれないが、言っておくが、全ての仕事はクリエイティブになり得る。創造性を使う余地がある。命令には絶対服従をすべき軍隊の1歩兵であっても、ほふく前進で創意工夫できるかもしれない。





創造性というものは、何も、光るビジネスアイデアや商品アイデアがポンっと降りてくるような能力とは限らない。心理学でも創造性のことは色々と語られているが、もっとあらゆる場面で使うものである。毎日同じ経路で往復している人にとって、寄り道や経路を変えることも創造性だろう。何か全く別の目的を合わせてやることも創造性だろう。スポーツで、フォームやスウィングなど、新たに試してみたい体の動かし方を思い付くことも創造性だろう。

おそらく、上記の例を読んで、「そりゃそうだよね、うん、それが創造性だよ、当然。」という風に感じられた方は、高い確率で創造性が高いと思う。「えっ、そんなものまで創造性なの?そうは思ってなかった…。」と感じられた方は、申し訳ないのだが、高い確率で創造性が低いと思う。

なぜそう言えるかというと、創造性は誰もが身に付けられる能力である。(もちろん、その程度には個人差があるが、基本的に思考ができる人の中には、全く身に付けられないという人はいない。)しかし、それを身に付けていない人というのは、自分で身に付けることを遮ることをしているから身に付けていないのである。

それはつまり、自分で却下しているのである。あるいは否定しているのである。もっと言えば、自分は何かを創造できない人間だと思っているのである。できないことが先で、自己否定が後なのではない。自己否定があるからできないままなのである。現に私自身も、特に10代、20代ぐらいの頃は、まさか自分が創造的だとは思っていなかったし、客観的に言っても違うと思う。しかし特に30代以降、創造性は増してきた。

では、創造性のハイパフォーマーを分析してみよう。よく、「アイデアマン」(もちろんアイデアウーマンでもいい。)と呼ばれる人がいる。あなたの周りにも1人は思い当たる方がいるのではないだろうか。そういう人の行動を思い浮かべてほしい。非常に多いパターンが、「いつも楽しげ」、「思い付いたらすぐ喋る」、「よくうろうろ歩き回っている」、「よく、どこに行っているのか分からなくなる」、「よく笑う」などという行動である。

これらの行動パターンの背景になっているものの1つは、「自己否定しない姿勢」である。アイデアマン/ウーマンは、思い付いたことを否定せずに表現する。表現したら他人から否定されるかもしれないが、「それならこれは?」と代替案を出してくる。

実は、創造性の大事な大原則は「質より量」という点である。アイデアマン/ウーマンは、大量にアイデアを出す。それがまた訓練となってより大量に出せるようになっていく。これは完全に訓練で、アイデアを出せば出すほど、出しやすくなっていく。そして量が出せるようになっていく。質ももちろん大事だが、量を出した後に、良いものを選別すればいいだけの話である。

「質の高いアイデアを出そう」とすると、途端に難しくなる。少なくとも初心者にはまず無理である。そこで心が折れてしまう。「あぁ、やっぱり自分には無理か。」それは誰でも無理だ。しかし、そうして自己否定が上塗りされていってしまう。

誰にでもできるトレーニング方法は、極めてシンプルである。「自分だったらどうする?」と自問自答することである。ニュースを見て、自分がその当事者だったらどうするか。広告を見て、自分だったらどのようにその商品を宣伝するか。題材は何でもいい。

よく、新橋の飲み屋でサラリーマンが上司の愚痴を言う、というような慣行があると言うが、あなたがもし新橋で愚痴の言い合いのような場にいたら、「自分が上司だったらどうするか?」を考えてみると、創造性は高まっていく。もちろん、梅田でも祇園でもどこでもいい。

あなたも必ずできるようになる。そう、今読んでくれている、「あなた」も、だ。

創造性を身に付けると何がいいかと言うと、人生が楽しくなる。アイデアマン/ウーマンは「いつも楽しげ」だ。私の考えでは、人間がモチベーションが最も高まることの1つは、「自分のアイデアが実現できるかも」と思った瞬間である。

つまり、創造性を伸ばすということは、「自己肯定」という、自分の「自己否定」からの解放と関係しているのだ。だからこそ、私は重要だと思っている。

あなたにも、あなたの人生を楽しんでほしいと心から願っている。それが少しでも、このストレス社会を和らげることに繋がれば、と願っている。それが「ドリル・アセスメント」をやっている目的の1つである。


宮田 丈裕 (当社代表)




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