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プロダクトアウトな傾聴力、マーケットインな傾聴力


傾聴力の重要性はよく言われることだが、対人対応では全ての基本だと言っていい。





対人対応というのは実に幅広い。仕事上のコミュニケーションでも様々な関係性やシチュエーションがある。タスクをこなし、問題解決を前進させるためのコミュニケーションもあれば、感情に寄り添うためのコミュニケーションもある。上司が部下を励ますためのコミュニケーション、部下の成長を促すコミュニケーション、つまりリーダーシップで求められるコミュニケーションもある。もちろん、コミュニケーションは対人対応の中心ではあるが、それが全てでもない。その中でも、傾聴は全ての基本である。(さらに、別記事『測定しにくいイノベーション能力、「人望/愛されキャラ」』ではイノベーション人材にとって傾聴が不可欠であることを語っている。)

私は2003年ぐらいからインタビュー・アセスメントをやっているが、当然のことだが、傾聴力はまず何よりも重要である。その上、単に話を聞けばいいわけではなく、「アセスメント」なので、色々なことを考えながら聞く必要があるが、それでも、相手にとって自然なコミュニケーションになっていることは大事なことである。

しかし、「傾聴が上手い人」というのは、具体的に顔が思い浮かぶほど、数えられるぐらいの人数だ。つまり、非常に限られている。もちろん、話を聞こうとしている人はたくさんいるが、効果的な傾聴ができているかどうかはまた別の話である。

できているかできていないか、あるいはタイトルにあるように「プロダクトアウトかマーケットインか」の二項対立にすると、話を単純化しすぎてしまうものだが、わかりやすさのためにあえてそうしたい。

というのも、「聞いているつもり」になりやすいからだ。全然効果的ではないのに、「傾聴?あー、自分は問題ないっす。」ぐらいの方が多い。他の能力と違って、傾聴力というものは客観的に捉えにくいという特徴がある。

効果的な傾聴ではない話の聞き方には、主に以下のようなパターンがある。客観的に捉えにくいだけに、あなたの傾聴力をチェックするのに役立てていただきたいと思っている。


◆パターン①「早々に自分の関心のある話題に持って行く」

他者が話し終わっていないのに、自分の話に持って行くというのはよくあることだ。それが良くないことだということを認識している人も多い。日本では「話は最後まで聞きましょう」ということが教えられている。多くの外国では、相手の話が終わる前に発言権を取っていくことは多々あるが、日本ではそれは少ない。

それは少ない反面、話題を奪うことは多い。話は一旦終わっているけれども、話題全体は終わっていない時に、そこから連想した自分の関心のある話題に移行してしまう。もちろん、特に日常的な会話なら問題はないかもしれないが、仕事などの議論の中でも話題の移行が早すぎて深まらないことがある。「この人と何かを議論すると深いところまで話が行き着いたり、新たな気付きを得られることが多い」という人がいるが、そういう人は早すぎる話題転換をしないことがほとんどである。

それだけでなく、話題を簡単に変えてしまうということは、日常でも仕事でも、他者にとってフラストレーションになるものだ。

このパターンはスピード感を重視する人に特に多い。スピードと何かを深めることとはトレードオフの関係にあることも多い。

傾聴においては、他者が話をしている時にそれを最後まで聞くことだけが重要なのではなく、話題全体を聞くことが重要である。


◆パターン②「感覚的に聞くことに偏っている」

これは、「大まかに言えば、こんなような話で、とにかくそれが嬉しかったんだろう。」などという聞き方のパターンである。もちろん、それで十分な場面も多々あるが、仕事などで突っ込んだ議論をしている時でもこれをしている方を見ることがある。

これはEQ、心の知能指数と言われるものが高い人が陥ることが多いように見受けられる。話の内容面を深く理解することは脳にとって負荷がかかるため、ささっと感覚的に把握ができる心情面だけをピックアップしているというメカニズムだろうと思う。要するに楽をしたいのだ。(←これこそが感覚的な理解の一例だが。)

あるいは、夫婦の会話において、旦那さんは奥さんの話をほとんど流していて、聞いているようで聞いていないというケースはよくある話だ。ただ、奥さんが①のパターンのように頻繁に話題を奪ってしまうから、聞く側の頭がそれについていけないというケースも多いのではないかと思う。(特にパターン①の人はスピード感を重視しすぎることも多いので。)もちろん、旦那さんと奥さんが逆だとか、夫婦でなくてもそういう風な関係になることも当然あるだろうが。


◆パターン③「論理的に聞くことに偏っている」

ある意味、パターン②の逆である。論理的に聞くということは、かなり集中して話を聞いているということでもあるのだが、他人の心理的な側面などを軽視した理解をしているというケースも少なくない。

もしあなたが傾聴して、相手の話に反応したら、相手が「そうなんだけど、うーん…」などと嫌がられた経験をお持ちなら、その時はこの聞き方をしたのだろうと推測できる。

どうしても、このパターンの聞き方をする人は、質問が「なんで?」とか、事実確認などが多くなる。決してそれが悪いわけではないが、偏るのがあまり良くない場面というのも当然ある。「なぜ?」の質問の仕方は、特にリーダーシップを取ろうとしている人には大変重要である。別の記事で書きたいと思う。


◆パターン④「思い込みに当てはめて聞く」

話し手にとってイヤになってしまうことの1つは、聞き手が思い込みや決め付けが強く、話し手が言わんとしていることの本質が伝わっていないと感じることである。


◆パターン⑤「傾聴とは話を聞くこと『のみ』だと思っている」

パターン⑤と⑥の聞き方というのは意外に多いのだが、これはどういうことかと言うと、典型的には反応が弱いようなケースである。話は聞いているのだが、聞いているということや理解しているということをあまりはっきりと示さないというパターンである。

例えば、単純なケースで言えば、うなずきもせずに下を向いて話を聞いている。あるいは、聞いた話に対して、それを受けたという反応を示さずに自分の意見を述べる。酷いケースになると、イライラしながら聞くなど、話し手を焦らせるような聞き方をするのを見ることもある。それでは相手が話してくれなくなってもおかしくない。

傾聴では反応が大事だ。反応とは主に2つ。聞いている、理解しているということを示す言葉やジェスチャー(うなずきなど)と、共感である。共感が少ないのはパターン③も共通していることが多い。


◆パターン⑥「話を聞くのは話を聞く場面『のみ』だと思っている」

学校の授業を受けている時や、何かの説明会に説明される側として参加している時など、その人が思っている「話を聞く場面」では話を聞くが、そうでない時は聞こうとする姿勢そのものが弱まってしまうパターンである。


主な6パターンを紹介したが、共通しているのは、「プロダクトアウト」である。つまり相手のニーズを無視または軽視した聞き方である。「自分は話を聞ける」と思っている人の中にも、そういう聞き方をする人が驚くほど多い。

では、「マーケットイン」的な聞き方とは、相手のニーズを中心に置いて聞くことである。具体的に言えば、自分が理解・共感していることを見せたり、自分の視点を一度横に置いておいて相手の話をできるだけそのまま受け取ろうとすることである。

もっと平たく言えば、傾聴とは、話を聞いてりゃいいってもんじゃない。自分のためでもあるが、相手のためにも話を聞くのだ。

人の話をマーケットイン的な聞き方で聞ける人なら分かっていただけるだろうが、そういう人は色々な場面で得をするものである。

例えば、私はある実験をしたことがあり、その内容は別の機会にするが、そこでの結論的な発見だけ言うと、「『人望がある』と他人に見られる人は、人の話を(マーケットイン的な聞き方で)聞ける人である」ということである。

また、これも詳しくは別の機会に書くが、リーダーにとっては、他者の心を動かすような話し方も大事だが、それ以上に傾聴力がまず大事である。

それから、成長力にも差が出る。人の話で疑似体験ができるからである。


宮田 丈裕 (当社代表)




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